83歳で、認知症と診断されたヤエさんは、発症の初めから徘徊がなかった。
昼夜逆転という症状も、ほとんどなかった。
それらが、15年の在宅介護を可能にした。
もし徘徊があったならば、早くに施設への入所を検討した。
徘徊があると、在宅介護は非常に困難なものとなる。
介護者の睡眠や神経を奪う。
施設で専門家の交代で、大勢の方に見ていただく方がいい。
昼間の活動がよい睡眠につながる
仮に施設で徘徊があったとしても、軽減するためには、昼間の活動が大事だ。
我々も充実した仕事をした日は、疲れてぐっすり眠れる。
高齢者にも、同じことが言える。
85歳で、ヤエさんは美容師の仕事を離れ、お客様との会話が減った。
シルバー人材センターで夢中になった賞状技法士の仕事も、文字の割り振り構成が困難になり、85歳で離れた。
プールでの歩行運動も85歳で離れ、全身運動をするチャンスが減った。
ヤエさんの昼間の活動は、85歳から主に、一人で留守番をすることになった。
一人で新聞を読んだり、日記を書いたり、テレビを見たりする。
85歳から87歳までは、300mくらい離れたサティまで、一人で1本杖をついて食品の買い物に出かけてくれた。
ほうれん草と食べたいものを2品くらい買って来る。
認知症診断から4年後 認知の退行が進む
87歳、買い物に行ってきたことを忘れ、ほうれん草を1日に3回買って来て、3束見ると、困ってあちこちに隠すということも起きた。
それらが、ヤエさんの昼間の活動だった。
土日は、一緒に塗り絵をしたり、散歩をしたり、車で買い物に行ったりして、スーパー内を歩いた。
夜は、自宅カラオケをしたり、ドリルやプリントを一緒にしたりした。
ドリルは主に、ダイソーで売っている100円のドリルができた。
スタートは、小学校2年生くらいのドリルから、次第に3歳向けくらいのドリルに下がっていった。
プリントはインターネットで「算願」と引くと、たくさんの子ども用無料プリントが出てくる。
それらで十分だった。
83歳の認知症診断時から、89歳要介護1を経て、96歳要介護4くらいまで、以上のような昼間の活動を心がけることで、ヤエさんに質の良い睡眠がもたらされた。
テレビは早くから字幕設定にするとよい
夕食はたいてい18時頃で、20時まで一緒にテレビを見るのが習慣だった。
90歳、要介護1のころから、テレビを字幕付き放送にして見た。
テレビの内容が分からないと、ヤエさんは声に出して文字を読んだ。
ある眼科には、シャープのテレビで、字幕がテレビ画面内でなく、テレビ画面の下部に特別に出るようにデザインされていたテレビがあって、これを欲しいと思った。
三菱電機のDVD録画機と一体型のテレビも、コンパクトでいいなと思う。
ヤエさんは大相撲や旅番組、動物の番組が好きだった。
90歳ごろから、相撲の取り組みの仕切り時間が長くて、待てずに怒った。
たぶん相撲の両者が1回の仕切りで立たないと、ヤエさんには制限時間いっぱい、3回も仕切るという意味が分からなくなっていた。
夜中のNHKの、中入り後の取り組みだけを、1回仕切りの25分間で一気に見せる「大相撲」を録画した。
旅番組の15分ごとのコマーシャルの意味も分からもなくなり、旅番組を中断されて、ぶつぶつ言って怒っていた。
「きれい」「すごい」などの言葉の形容の代わりに、拍手をして、95歳くらいまで嬉しそうにしていた。
96歳からは言葉の消失とともに、拍手するときの笑顔も減った。
岩合光昭氏の「世界ネコ歩き」が大好きだった。
我が家の猫ちゃんを、好きだったからだと思う。
時間帯の遅いテレビ番組は、録画しておいて一緒に見た。
スクワット運動による便通も良い睡眠につながる
夕食から1時間くらい経った20時過ぎに、洗面台で立って歯みがきをする。
食後、一定の時間立っていると、次第に便意が現れる感じである。
歯みがきの後、手すりにつかまり、一緒にスクワット運動などをすると、食事⇒立位⇒運動で、便意をもよおすようだった。
朝食後に排便がなかった日は、たいてい20時過ぎに排便があった。
私も夜の排便の世話のほうが、時間を急がないでゆったりと構えられた。
93歳ごろから歩行運動が減って、便秘気味になり、早朝高血圧が再発した。
夕食後の運動後に排便がなかった時は、風呂場まで階段を昇降すると排便があった。
階段昇降が、排便を促す一番の運動刺激だった。
早朝高血圧を下げるため、排便に良いキウイを夕食に食べさせた一時期は、風呂場で下痢便が止まらないことがあり、浴室の隣りのトイレへの往復で、冬は二人での裸で冷たくなり、参ったこともあった。
この時ばかりは、新築時に風呂場にトイレを付ければ良かったと後悔した。
その時はTONBOポータブルトイレS型を脱衣所に置いておき、下痢の際に浴室に持ち込むことで、しのいだ。
介護の初期に新築やリフォームをされる方は、浴室とトイレを隣接させるか、脱衣所や浴室内にトイレを設置するかして、ポータブルトイレ簡易便座 折り畳み式 高さ調整可の置き場を想定しておくと良い。
また、トイレと寝室も、隣接していると世話が楽だ。
以上のように、気持ちの良い排便も、寝入りの早い睡眠につながっていた。
つなぎパジャマで安心して眠る
ヤエさんがなかなか寝ないというのは94歳、要介護4の、短い期間だけだった。
ヤエさんが夜中にパッドが濡れたのが嫌で、濡れたパッドのパンツを含めて下半身全てを脱いでしまい、寝ていて次の排尿でベッドが ビショビショになることが、半年ほど続いた。
それを防ぐために、秋にようやく、下半身を脱がないようにつなぎパジャマにしたところ、違和感からか、なかなか寝付かないで、独り言や歌を歌っているという一時期が、1か月ほどあった。
後は年末年始、長時間睡眠が足りすぎて、3日目に寝付けず、夜中2時まで喋っているということがあった。
94歳からは、一年345日デイサービスに行っていたので、デイサービスのない年末年始は、ヤエさんも昼間の活動刺激が少なくて、ベッドで寝付けず、2時まで大声で歌っているということがあった。
そういうときは、私が別室に移動して先に寝て、ヤエさんの好きにしてもらった。
原因不明の長期間の昼夜逆転、理由のない不眠は、ヤエさんにはなかった。
昼間のデイサービスの活動とメマリーの傾眠作用
89歳から通ったデイサービスで、昼間気持ちよく楽しく過ごしてくるということが、質の良い睡眠に大事だった。
83歳から服用した、記憶維持薬アリセプトに加えて、92歳から飲んだメマリーは、傾眠作用があるということで、ヤエさんに入眠しやすさをもたらした。
朝食、服薬、散歩、学習、デイサービス、食事、立位、運動、階段昇降、排便、入浴、それら全てが睡眠の質にかかわっていた。
同時に、ヤエさんの活動に誰かが同行して、人が一緒にかかわっているということが重要だった。
ヤエさんは「人付き」(梅津八三という心理学者の言葉)で、暮らしていた。
それらすべてが、ヤエさんの質の良い睡眠を作り、15年の在宅介護を可能にした。
猫ちゃんブログへのコメント