初めての脱水、尿路感染症、発熱
97歳、ヤエさんをグループホームに入れた。
97歳、要介護4、車椅子のヤエさんは嚥下機能も退行し、ムース食の飲み込みにも時間がかかり、とろみ水分も飲み込みにくくなっていた。
グループホーム入所の3週間目、ヤエさんは、脱水、尿路感染症、発熱で入院した。
病院に駆けつけると、初日は38度の高熱で苦しそうだった。
点滴による水分補給と薬剤投入により、翌日には熱が下がり、笑顔になった。
病室の窓から見える春の若葉をとても喜んで一緒に眺めた。
看護師さんに車椅子に乗せてもらい、点滴しながら私と病院内を探索した。
猫の本を見たり、猫の DVD を一緒に見たりした。
グループホームと違って病院は、毎日ヤエさんに会えるので私は嬉しかった。
昼食から消灯まで、毎日私が一緒に過ごすので、ヤエさんも笑顔があり、自宅で一緒に暮らしているような感じだった。
こういう介護の生活ならば、やっていけるなと思った。
例えば、ヤエさんと隣同士の部屋に私も住んで、ヤエさんの食事は用意してもらえ、昼間のオムツ交換もしてもらえ、入浴世話もベッドサイドでやってもらえる。
私は食事・排泄・入浴の世話から解放され、安心して仕事に出かけ、ヤエさんと夕食を一緒にしたり、土日に車椅子で散歩したりする。
そんな、夢の介護生活を空想した。
現実に戻り、消灯時刻に「また明日来るね」と言うと、ヤエさんも笑顔になった。
3日目にはベッドの脇で、舟型のお風呂に入浴させてもらった。
深部体温が上がって、入浴後ぐっすり眠っていた。
平熱になった。
入院生活でヤエさんが怒るのは、オムツ交換の時だけだった。
股間を両手で隠そうとし、看護師さんの手を振り払って暴れた。
看護師さんに手首を強く掴まれて、腕に大きな血腫ができた。
ヤエさんが抵抗しなければなんでもないことなのだが、恥ずかしいらしく、排泄の世話に抵抗するヤエさんだった 。
メマリーによる眠り姫
総合診療医だと名乗る担当医師は、4日目の夕方、一度だけ病状の説明に夕方病室に来た。
そのとき「今後、メマリーとアリセプトを減らしていっていいですか?」と私に聞いた。
私は飲み続けてきた薬を減らす理由が分からず、不安だったが、徐々に減らしてくれると考えて、同意した。
減薬開始日の相談に、あるいは減らした報告に、いつ来てくれるのかと私は毎日待っていたが、その医師は私が毎日病室にいる午後~消灯の時間帯には、二度と病室を訪れなかった。
入院2週目、点滴による水分補給がなくなると、ヤエさんは長時間の過眠が増えた。
眠り姫だった。
朝、ヤエさんは目が覚めず、看護師さんとの朝食をほとんど食べないで、薬だけ飲まされて寝ていて、私がお昼に行っても寝ていて、夕方3時4時まで寝ていることもあった。
寝たままのヤエさんのベッドを起こして、ヤエさんを抱いて、なんとか車椅子に移乗させ、車椅子で病院内を散歩した。
血行が悪いのか、手足が冷たかった。
手足を温かくしてぐっすりと眠れないから、過眠になるのかと思って、看護師さんに頼んで湯たんぽを入れてもらった。
月末に入院費の支払いをすると、診療明細書に、医師が4日目に「減らしていいか」と訊いたメマリーは、私との相談以前に、すでに入院初日から、医師の判断で20gが10gに半減されていた。
しかも、その医師からのグループホームへの退院報告書には、「高齢で服薬が負担であり、薬は認知症の初期には役立つが、現在は薬の効果も認められないので、家族と相談の上、量を減らした」と書いてあった。
薬を減らした日は、相談前の入院初日、相談したのは4日目、記述の時間順序が違っていた。
「医師の判断で薬を減らし、家族の同意を後で得た」と記すべきではないか。
私は何年も、アリセプトとメマリーの効果に助けられてきたと、そのときは信じていた。
私はヤエさんが食事時刻に起きない状態に毎日困っていて、看護師も毎朝寝ていて食べないヤエさんに困っていたが、私も看護師も、メマリーのせいとは知らず、看護師はヤエさんの眠り姫状態を医師に報告しなかった。
医師は、眠り姫状態を見ないし、医師は食事の世話をしないから、メマリー20gを10gに半減しただけで、放置だった。
医師から「傾眠はメマリーが原因である、今すぐ、中止せよ」という説明も治療もなく、その医師とその病院の医療に対する不信感が生まれた。
要介護5ではメモリーに認知症に対する効果がない、というよりは、「メマリーの傾眠作用で眠り姫が起きていて、食事が摂れないことにも関係しているかもしれないから、昼間起きているためにメマリーを中止してみませんか」という相談が医師からあるべきである。
メマリーの傾眠作用と、口から食事が摂れなくなる現象を、家族に確認していない医師と看護師たちであった。
訪問診療による水分点滴の必要性
退院してグループホームに戻ったが、2週間後、再び発熱し入院した。
入院が2回目だし、私は毎日往復100 km を車で走るのがつらかったので 、「自宅の近くに転院させてくれ」と頼んだが、病院の許可が得られなかった。
冬場と違って病院はすいていて、後で考えると、おそらく病院の利益のために入院患者が必要だったと推察される。
ヤエさんの口からの水分摂取は、ますます難しくなっていた。
しかし今回は、尿路感染症ではなく、単純な発熱だった。
熱は1日ですぐに下がった。
それでも、自宅近くへの転院は認められず、家族の往復100km の病院に2週間入院した。
前回の入院と同様に、点滴による水分補給がなくなると、ヤエさんは眠り姫になった。
朝、目が覚めず、看護師さんとの朝食をほとんど食べず、私がお昼に行っても寝ていて、夕方5時まで寝ていることもあった。
私は寝たままのヤエさんのベッドを起こして車椅子に移乗させ、3時間も4時間も車椅子で病院内を散歩し、夕食に起きてもらうために話しかけた。
つらい長い時間だった。
病院ではヤエさんが夕方まで起きないで、食事を摂れないということが、看護師と医師で共有されていなかった。
毎朝、朝食に起きないヤエさんを看ている看護師は、食事量のパソコン入力しかしていない。
なぜ、ヤエさんは寝ていて食べないのか、看護師から医師への傾眠報告が欠けていた。
初めの医師は関わらず、医師は傾眠の様子も食事の様子も、私がいる午後には一度も見に来なかった。
この病院は地域の拠点の福祉病院だったが、老健施設やグループホーム・小規模多機能からの高齢者入院が多いからか、退院サマリーはグループホーム宛てで、毎日通って付き添っている家族には何の報告書もなかった。
家族に一番に、続いて施設に、報告はなされるべきである。
医師からも看護師からも、傾眠の原因は説明されないまま、ヤエさんは退院することになった。
しかし、ヤエさんが入院したおかげで、いいことがあった。
ヤエさんの病院に計4週間通って、私は食事やオムツの世話を看護師さんから学べた。
退院前に、ヤエさんを6年見てくれたデイサービスに尋ねると、退院したら再び在宅介護でヤエさんを通所させてくれることになった。
デイサービスで、食事を2食、入浴を週1回してくれることになった。
ありがたかった。
私はヤエさんを退院させて、グループホームへ戻さず、医療への不信感から転院させず、自宅へ連れ帰る決意をした。
退院の2日前に「うちへ帰ろう」と退院を知らせると、ヤエさんは嬉しそうに笑顔になった。
ヤエさんは、点滴による水分補給の効果があった5日間は、目覚めて食べてくれることが多かった。
口からのとろみ水分をたくさんは飲み込めないので、点滴で身体に水分が入ることがヤエさんに必要だった。
今になって分かることだが、第一に傾眠作用のメマリー中止と、第二に在宅介護なら退院後の訪問診療による水分点滴指示の紹介状、この2点が医師から家族に明確にされるべきだ。
水分点滴と、メマリーの傾眠と、食事量の関係は、医師だけではわからない。
水分点滴、メマリーの傾眠、嚥下、食事量の5点の関係を看る、優秀な看護師が必要だ。
在宅介護の再開と3回目の入院
グループホームを2か月で退所して、ヤエさんは自宅に戻ってきた。
その後、ヤエさんは以前のデイサービスに楽しく通ったが、ついに3回目の発熱をして、自宅近くの病院に入院した。
呼吸が苦しく、心臓も弱っていて、足のむくみも引けないという説明だった。
自宅近くの病院でも、点滴の水分補給のあるうちは笑顔で元気そうだったが、点滴の水分補給が終わるとまた眠り姫になった。
その晩私はネットで、水分とメマリーと傾眠と食事摂取量について調べた。
翌朝、私から医師にすぐ「起きないのはメマリーか、水分点滴の終了のせいではないか」と申し出て、メマリーを中止してもらい、今回の眠り姫は1日で済んだ。
救急科の永井祐介専門医は、多忙にもかかわらず、毎日病床を診に来てくれる臨床医だった。
永井医師のおかげで私は医療を信頼し直すことができ、ヤエさんの傾眠も減少した。
要介護5や、寝たきりになったら、アリセプトもメマリーもいらないのだと、ようやく知った。
永井医師は、ユベラ(ビタミンE)だけ処方してくれた。
新しい病院では、隣のベッドの寝たきりの方の指導に、理学療法士さんが見えた。
ヤエさんも入院5日目から、言語聴覚士さんが、嚥下の仕組みと摂食の実際を教えてくれた。
ベッドを45度に起こして食べさせると、気道に入らず、食道に落ちて、誤嚥が少ないということだった。
97歳の要介護5のヤエさんに対して、言語聴覚士さんが摂食指導をしてくれるなど、前に入院した病院とは違っていた。
8月半ばに退院した。
在宅介護と、慣れたデイサービスで、介護士さんたちに家族のようにお世話してもらって、ヤエさんは穏やかな時間を過ごした。
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