困り感に共感すると穏やかになる
本人はもちろん、毎日一緒に生活している家族も、物忘れと認知症の境界線は分かりにくい。
物忘れは「忘れた」という実感があり、認知症は「忘れた」ということ自体を忘れる。
家族も最初は心の準備がないので、おかしな言動を責めたりしてしまう。
これがいけない。
「そうなんだ」「こまったね」「あるといいね」「探しておくからご飯にしよう」など、認知症者の困り感に共感する言葉をかけると、安心してその場が収まる。
自治体の支援システム、初めは同行で参加する
自治体の高齢者健康診断問診票を毎年付けて、健診時に担当医師に提出すると、自治体の高齢福祉課保健師に問診票が回る。
特定のラインを超えると支援対象となり、保健師さんが高齢者教室を薦めに家庭訪問してくれる。
認知機能検査(MMSE検査)30点満点中18点で、88歳のヤエさんに要支援2という判断が出た。
認知機能に問題がない我々ならば24点以上になることが一般的だ。
あまり社交的でないヤエさんは、高齢者教室の見学に尻込みしていたが、私が「一緒に行く」と言うと元気が出て、初回に一緒に参加した。
高齢者教室は行ってみたら楽しい
参加してみたらヤエさんも子ども時代のように楽しくて、88歳から毎週1回2時間楽しみに通うことになった。
自宅から高齢者教室の建物までは800mほどで、歩道をL字に歩けば到着する距離だった。
3車線道路横断のため、1度だけ歩行者用の信号を判断して渡らなければならない。
初回は、運動や歌、演奏やゲームに、私も一緒に参加した。
赤札と黒札を交互に出す、トランプゲームのルールが、ヤエさんにはわからなかった。
ヤエさんは赤が出ると赤を、黒が出ると黒を、同色のカードを重ねてしまう。
脳内の「赤黒交互に出す」という言葉より、目に見えている同色合わせになる。
「赤札と黒札を交互に出す」という、言語の保持・ワーキングメモリー(短期記憶)が働かなかった。
2回目は、高齢者教室まで一緒に歩いて送っていき、帰りの時刻にまた迎えに行った。
目的のある散歩、意味のある散歩は、ヤエさんも嬉しそうだった。
3回目は、建物の玄関まで送り、玄関まで迎えに行った。
保健師さんや皆さんに、嬉しそうに挨拶をする、明るい笑顔のヤエさんがいた。
4回目以降は、歩行者用の信号を渡り終わるところまで一緒に散歩して、信号の向こうで待つ保健師さんに後をお願いした。
帰りは、毎回玄関まで迎えに行った。
そうやって毎週1回、皆勤賞で、高齢者教室に1年以上通った。
高齢者教室には、若年性認知症の方もいらしたが、教室に通うほとんどの方は、認知機能検査で21~24点の力のある方が通っている。
ヤエさんは18点で、既にデイサービス向きであったが、支援のなだらかな移行という配慮で、高齢者教室に1年半の間、受け入れてもらえていた。
歩行者用の信号の赤を無視して、道路向こうで手を降る保健師さんに向かって歩いて行ってしまったことをきっかけに、再度デイサービスを薦められた。
MMSE検査も18点から16点に下がり、89歳で要介護1が認定された。
診断・調査・デイサービスの初回利用に家族が同行する
高齢者教室が好きだったので、介護認定調査員の方に「デイサービスなんて行かない」と、ヤエさんは怒って暴言を吐いた。
「どんな所か私が行ってみたい。半日ずっと一緒に過ごす。」と私が言うと、デイサービスへ一緒に行ってくれた。
認知症診断の病院も、介護保険の認定調査も、高齢者教室もデイサービスも、当事者である高齢者にとっては敷居が高く、気が重い。
「家族である自分のために行ってくれ、家族が勉強しておきたい、家族が手伝い方を知りたい」そんな風にアイメッセージで頼めば、子どものために動かない親はいない。
自宅と違う場所で過ごすことに関しては、家族が同行して一緒に始め、だんだん共有の時空をフェイドアウトし、徐々にその道の専門家に任せていく。
認知症の家族についても、不登校や引きこもりの家族についても、新しい適応場所への踏み出し方は、家族の初回の同行がキーポイントかと思う。
猫ちゃんブログへのコメント