ヤエさんは、83歳でアルツハイマーを発症してからも、家族が助手をすることで、85歳まで美容師を続けた。
また、85歳まで、シルバー人材センターの賞状技法士も、好んで引き受けた。
もともと、お習字やそろばん、日記書きや新聞読みなどが、好きなヤエさんだった。
アルツハイマーの進行で塗り絵が難しくなる
塗り絵が難しくなったわ。集中して取り組めない。
ヤエさんは、徘徊などの激しい中核症状は初めからなく、室内で過ごすことが好きな、ひょうきんで明るい穏やかな人だった。
ヤエさんの穏やかな行動が、98歳の最後まで、15年間の在宅介護を可能にした。
ヤエさんは、83歳まで、家族と離れて暮らしたことはなかったが、83~87歳の4年間、寝るときだけ一人暮らしをした。
家族は、ヤエさんの家で夕食と入浴を一緒にすると、4Km 離れた郊外の家に帰った。
一人暮らしのヤエさんの、火の元の安全が欠けたり、柔らかいパンばかり買って食べることが増えて、ヤエさんの一人暮らしが無理になった。
家族が引越しをして、87歳、要支援2から再び家族と同居した。
88歳要支援2~91歳要介護1ぐらいまで、ヤエさんは、ダイソーの塗り絵やダイソーのドリルをスイスイやれた。
要介護3・4になっても書くことは好きで、なぞり書きなら、柔らかいマジックで一生懸命書いてくれたね。
次第に新聞の内容に関心が持てなくなり、太字の見出しだけ、何度も読むようになった。
トイレに行ったことを忘れて5分おきにトイレに立つ
生活でもトイレに行ったことを忘れて、5分おきにトイレに立つようなことが生じた。
2011年3月の東北の震災の被害の意味が分からず、被害の激しい映像に笑顔で、興奮の拍手をするような認知の異常があった。
92歳~95歳の要介護3の間は、もっぱらテレビを字幕付きで見て、内容が分からなくても文字を読んでいた。
大相撲や旅番組、岩合光昭氏の「世界ネコ歩き」が大好きで、いつも家族と一緒に見た。
次第にそれが楽しめなくなり、96歳要介護4からは、岩合さんの世界ネコ歩きの「京都編」だけを、繰り返し見るようになった。
外国編は楽しめず、きれいな舞妓さんや、日本の風景や、田植えやおじいさんが登場する、子ども時代に通ずる映像を喜んだ。
大相撲は長い仕切り時間を待てないで怒るので、仕切りの短い、夜中の大相撲中入り後の本番編25分を毎日録画して、夕飯の準備の間、見せた。
音声の言葉が出なくなり代わりに指差しで喋る
言葉も出てこなくなり、テレビを指さして、言葉の代わりに指でしゃべっていた。
遊びや学習をいつも一緒にしていると、できていたことができなくなる経過がよくわかるわ。
トイレや食事など生活行動の退行と、遊びや学習の退行とが一致していたのね。
音声の言葉がなくなって結果を考えられない行動が起きる
音声の言葉をなくしていくと同時に、一人だけにされると、牛乳をまけるような、いわゆる「問題行動」「迷惑行動」が、要介護4のヤエさんにも起きた。
アスペルガーの子どもさんの小さい時や、自閉スペクトラムの子どもさんの小さい時に見られる行動と同じ行動だ。
こういう時は「要らないね」「片づけるね」と代弁し、その物を片付けるとその場がお互いに静かに収まる。
認知症の方だけでなく、自閉症の方たちに対してもそうだが、我々の感情で対応しないほうがいい。
物で起きたことだから、感情を挟まないで、物を何とかすればいい。
飲みたくない牛乳がそこにまだあったから、まけただけだ。
デイサービスの介護士さんたちは、そういうシーンの共感が職場で同僚とできる。
在宅介護では、介護者が一人だと、共感者がいなくて孤独になる。
介護者の孤独の深さは、認知の退行に比例する。
認知の退行で、認知症の当事者も介護者も、孤独が増す。
私の場合、介護中の孤独は、生活に追われて、そう重いものとは思われなかった。
ヤエさんを見送った後のほうが、孤独を感じた。
ブログ書きに出会うまで、孤独を買い物依存で解消していた。
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