自閉スペクトラム症のかたの敬語習得の方法

教材No.42-1 敬語は2つ目の言語

 言語能力の高いアスペルガーの方を除いて、カナータイプの自閉症の方や知的障害のある自閉症の方は、2つの言葉を使い分けるということが、苦手な様子がある。

1つの言語形態しか、持てないようだ。

日常会話と敬語を使い分けるということが、難しい事例を時々見かける。

病院の診察室で、家族に話すようなタメ口で、初対面の年寄りの私に対して話す、敬語を使えない6年生の自閉症のお子さんも多い。

初めに家族との日常会話を習得するので、その後、先生や年上の人に対しての敬語を、2つ目の言語として習得したり、相手によって使い分けたりする、ということが難しい。

例えば、東北地方の自閉症の方の多くは、標準語だけを話すという。

東北地方のカナータイプの自閉症の方や、知的障害のある自閉症の方は、東北弁と標準語の二つを使い分けることができないのだ。

松本敏治・菊地一文著のそういう研究と論文が、ある。

「自閉症の方言使用に関する事例的検討 」(植草学園大学研究紀要 第11巻5~15頁2019年)

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それゆえ自閉症の方の敬語習得については、2つ目の言語を覚えるというような難しさがあるという理解が、まず必要だと思う。

その理解の上で、「家族以外には、敬語で話そうね」という事を、提案するといいと思う。

教材No.42-2 日常語と敬語の使い分け

一番には、家族に使う「日常語」と、他人に使う「敬語」という使い分けがあることを知っているかどうか、確認する必要がある。

「日常語とは何ですか、丁寧語及び敬語とは何ですか、 家族にはどれを使いますか、学校ではどれを使いますか、年上の人に対してはどれを使いますか、お客様に対してはどれを使いますか、」それらの質問に対して、的確に答えられないと、使い分けるということは難しい。

相手によって使い分けるということは、とても高級なので、もう少し使い分けを簡単にしようと思うならば、「自分の家で自分の家族には日常会話で良いが、家から一歩外へ出たら敬語を使う」という物理的な場所での使い分けを、小学校入学時から形成すると良い。

小学校に入学すると、授業中は、「~です。~ます。」で発表するように、先生に言われる。

「~です。~ます。で発表する」と、掲示されている教室も見かける。 

小学校に入学と同時に、ソーシャルスキルとして、「家を出たら、友達や大人に、丁寧な言葉で話そう」と提案すると良い。

2番目には、具体的に「おはよう」と「おはようございます」を、家族や同級生にはどちらを使うか、大人や学校の先生にはどちらを使うか、を理解しているかどうか、確認する必要がある。

日常語と敬語の、知識習得を前提とした上で、臨機応変の敬語ということになる。

仮に、敬語の知識習得がなければ、文章カードのようなものに書き出して、人物絵カードに対して対応させる学習が必要だ。

画像出典は、坂東眞理子、蒲谷宏 監修/三省堂編修所 編『こども マナーとけいご絵じてん』https://amzn.to/3C3Zrys(三省堂2009年本体価格 2,400円+税)の21頁のイラスト

小学生になったら、家族にも、丁寧なあいさつを練習しておいた方が、どの場面でも使えるようになりやすい。

自閉スペクトラム症のかたのあいさつの形成の方法 | 猫ちゃんブログ(2020/9/17)も参照されたい。

教材No.42-3 敬語の辞書表カード

3番目には、机上の学習で整理できたら、実践では、脳内記憶が難しいと思うので、まずは脳外に表出して見えている、敬語の辞書表カードを使う。

つまり、敬語の辞書表カードのようなものを、ラミネートして持たせる。

あるいは、敬語の辞書表カードを、教室や机の上に掲示する。

「おはようございます」「失礼します」「〇〇先生に用事があって来ました」「遅くなりました」「遅れてすみません」「お願いします」などの文章カードを、目に見えるようにしておいて、使ってもらう。

文字を読むことで、早口がゆっくりになったり、構音がはっきりする場合もあるので、敬語を文字化してあげることは重要だ。

まずは、定型の敬語を成立させることが必要だと思う。

教材No.42-4 敬語の習得も「形成」

文字や数の学習と同様に、敬語の習得も、「形成」だと考える。

私が日本語しか喋れないように、自閉症のかたも最初に身につけた、家族用の1種類の日常語でしか、会話しにくいと思う。

自閉症の方にとっての敬語は、私にとっての英語のようなものだ。

私が外国語の英語を話せないのと、同じ仕組みだ。

英語を喋れないのに、無理に英語で話せと言われているのと同じ。

そういうふうに理解して、敬語を外国語習得のように、新しく身につけてもらうと考えたい。 

0だったものを、新しく形成するということだ。

普通できるはずのものがこの子はできないと思うと、非難の気持ちが端々ににじみ出る。 

しかし、この子が持っていない仕組みを、新しく形成するのだと考えれば、周囲の我々も前向きに努力することができる。

何年も未習得の敬語ならば、これから何年もかけて習得すると考えるとよさそうだ。

敬語の習得も、梅津八三のいう、「形成」がキーワードである。

猫ちゃんブログへのコメント

  1. ねこのしっぽ より:

    独立言語としての敬語、興味深く読みました。猫ちゃんの一貫した考え方が良くわかりました。また猫ちゃんが子ども達と深く関わってきたのだということを思いました。

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