猫好きのヤエさん
ヤエさんは、子どもの頃から猫が好きだった。
猫を飼いたくて、ある時は隣の家までもらいに行ったそうだ。
そうやって、子ども時代はいつも猫のいる暮らしをしていた。
大人になって、街で暮らすようになって、猫を飼ったが、大通りに出た猫が、車に跳ねられて死んでしまい、悲しくて二度と猫を飼わなかった。
事故で、突然猫を亡くすのは、つらい。
偶然猫が外へ出て行ってしまい、二度と会えないのもつらい。
人間より猫の方が寿命が短いので、必ず別れる時が来るのだが、病気でない別れ方は、突然すぎて心残りになる。
初代お母さん猫
我が家が猫を飼うようになったのは、偶然だった。
ある夏、子猫を3匹連れたお母さん猫が、庭の温室に突然現れた。
はじめ私は、ヤエさんに遠慮して、車庫で内緒で猫たちを飼っていた。
1ヶ月ほどして、ヤエさんに猫の存在が知れたが、ヤエさんは飼っては駄目だと言わなかった。
2ヶ月ほど経って、猫を家の中で飼うようになった。
野良猫だったので、外と行き来できるように、ガラス戸にキャットフラップもつけた。
2匹の子猫は、1歳になる前に事故で、最後の子猫は4歳で病気で亡くなった。
お母さん猫は賢く、猫の生活のルーティーンを守って、静かに暮らしていた。
「猫ちゃん猫ちゃん」
猫を飼うようになって1年後、83歳のヤエさんに認知症の症状が出て、私は毎晩ヤエさんの夕食と入浴を見る、通い介護を4年ほど続けた。
87歳のヤエさんの認知が大変になり、猫を連れて引っ越し、同居するようになった。

ヤエさんは、猫の名前を覚えなかった。
猫の名前が「お母さん」という特殊な名前だったせいで、覚えなかったのかもしれない。
チビとかタマとシロとかブチとか、猫の見た目からくる名前だったら覚えたのか、わからない。
猫を呼ぶ時、ヤエさんは「猫ちゃん、猫ちゃん」と呼んだ。
確かに、猫ちゃんで間違いない。
その呼び方が、最も見た目を表している呼び方だった。
私も、外で動物を見かけると、「猫ちゃんだ」「ワンちゃんだ」と言う 。
猫がいるだけでほっこり

猫を見ると、ヤエさんの表情は柔らかくなった。
猫が家にいると、ヤエさんも幸せそうに見えた。
ヤエさんは優しい手つきで、猫の毛をいつもすいてくれた。
猫もうっとりと気持ちよさそうに、ヤエさんのそばにいた。
初代のお母さん猫は、6年ほどヤエさんと一緒に暮らした。
お母さん猫が腎臓を悪くして12歳で死んだ時、92歳、要介護3だったヤエさんは悲しまなかった。

二代目猫 ひげのクーちゃん
お母さん猫が死んで3ヶ月ほどして、猫のいない生活があんまり寂しくて、13歳の保護猫を福島県いわき市からもらうことにした。
「猫を迎えに行くので、ヤエさんはどうする?デイサービスに行く?一緒に車で福島県まで行く?」と聞くと、珍しくヤエさんが「私も一緒に行きたい」と自分の意思を言った。
高速のサービスエリアの思いやり駐車場から、身障者用トイレに、杖で歩いて一緒に行けた。
念のため、ヤエさんは尿取りパッドもしてくれた。
片道260 km 往復520 km 7時間の長旅だったが、ドライブしながらおにぎりを食べ、猫を貰い受けるとヤエさんも楽しそうだった。

クーちゃんに好かれたヤエさん
ヤエさんは、二代目のクーちゃんをとても可愛がった。
クーちゃんも穏やかなヤエさんが大好きで、側に行っては撫でてもらっていた。
ヤエさんが室内で運動すると、よくそばにきてゴロンと横になり応援していた。

猫の好きなヤエさんは、猫のどこを撫でると猫が気持ちがいいかを、よく知っているようだった。
クーちゃんも、撫でてもらってうっとりと、静かにしていた。
ヤエさんの手の動かし方がゆっくりで優しいからだろうか、クーちゃんはヤエさんを甘噛みしたりしなかった。

介護家族に猫がくれた2倍の幸せ
97歳、要介護4、言葉が出なくなり、笑顔が少なくなっても、ヤエさんは猫を可愛がった。
クーちゃんも朝と晩、いつも変わらずヤエさんのそばに行った。
ヤエさんは病院に入院している時も、猫の本を見せたり、猫の DVD を見せたり、猫の写真を見せたりすると、とても喜んだ。

98歳、要介護5、退院して、もうほとんど喋らなくなったヤエさんだったが、クーちゃんは自然とそばに行き、いつもふたりで寄り添っているようだった。
ヤエさんが、食べ物や飲み物の飲み込みが難しくなってからも、クーちゃんはヤエさんがベッドで眠るまでそばにいてくれた。
猫がそばにいるだけで、ヤエさんが優しい気持ちになり、温かい気持ちになって眠れる 。
クーちゃんも5年間、ヤエさんを見守ってくれ、介護生活の癒しになってくれた。
猫のいる暮らしは、ヤエさんと私に、猫のいない暮らしの2倍の、幸せをくれた。

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