学校に行く気力をなくして、一番自信をなくしているのは、子ども本人です。
朝、起きてこない時、「学校 行かない」と聞いた時、その日学校に行かなかったと知った時、保護者が最初にかける言葉は、「生きててくれれば、嬉しいよ」です。
子どもが毎日、学校へ登校していることが当たり前になってしまうと、登校の土台にある力を、子ども本人も大人も忘れがちになりますね。
不登校になっても、その子が生まれて来た、存在の価値は変わりません。
登校の土台にある力 食事・睡眠・排泄の力を喜ぼう
本当は、登校するかどうかより、その土台にある力の方が、90年の人生には大事です。
生きていること、食べること、眠ること、出すこと、それらが最も人の暮らしに大切ですね。
その上に、着替え、挨拶、ご飯、顔洗い、歯磨き、入浴、家事手伝い、家族との会話、などがあります。
家庭の役割ができる、家族の役に立つ、自分で食事や洗濯や掃除ができる、それだけで人間として十分立派な存在です。
子どもに不登校が起きる前から、保護者がそういう価値観を持てるかどうかが、初期対応のポイントになります。
昭和の時代の価値観から、100万人の社会的ひきこもりが生まれました。
不登校は落伍者、引きこもりは不適応者、というような価値観です。
しかし、平成の後半、2004年ごろから、「多様な生き方」が少しずつ認められるようになりました。
特別支援教育や発達障害者支援法および合理的配慮なども、多様な生き方を支えています。
戦争のない日本で、自然災害のない地域で自然に恵まれて、他人に迷惑をかけずに暮らせるなら、それだけで素晴らしい子どもさんです。
登校の土台にある、子どもの生命の素晴らしさを肯定する言葉かけができれば、学校の価値とは別に、子どもは自分の存在に自信を持つようになります。
自分に自信が持てれば、苦手な世界や新しい世界へ、少し踏み出してみようという気持ちになります。
自分自身の存在価値に、子どもが自信を持つような、言葉かけをしましょう。
自己肯定感を持てなければ、競争社会や社会的経済活動にチャレンジしてみる力も生まれせん。
したことできたことに対する「共感」と、して欲しいことへの「同行」
第一のポイントは、子どもが済ませた行動に対する「共感」のことばです。
「生きていれば 嬉しいよ」
「ぐっすり寝てたね」
「起きたね」
「着替えたね」
「ご飯食べたね 嬉しいよ」
「おはようの挨拶できたね」
「食器洗いしてくれたんだね。ありがとう」
「洗濯物畳んでくれて、助かるよ」
「ゲームを一緒にできて、楽しかった」
第二のポイントは、実物とともに「同行」して支える Let’sの言葉かけです。
実物を手に持たせた方が子どもはイメージしやすく、子どもの心が切り替えの方向へ動きやすくなります。
スーパーのかごや、車の鍵を手渡して「一緒に買い物に行こう」
用意した着替えを手渡して「一緒にお風呂入ろう」
浴室に入ってから「シャンプーするね」
電動歯ブラシを手渡して「一緒に歯を磨こう」
パジャマと枕を手渡して「みんなで川の字で寝よう」
などです。
共感と同行が有効でない、手ごわい場合は徹底的に現勢の保障
共感や同行が子どもの行動切り替えを起こさせない場合は、その手前の、現勢の保障がたっぷり必要になります。
現勢の保障とは、子どもの今の勢いを尊重するということです。
子どもが布団から起きなければ、保護者も仕事を休むか遅刻するかして、隣に布団を敷いて一緒に横になってみましょう。
「お母さんも のんびりする!」ですね。
子どもが一日中ゲームをしていれば、「ゲーム見せてね」と時間が許す限り、メモを取りながらゲームを見せてもらいましょう。
メモをもとに、ゲームについて質問したり、会話をしたりするようにしてみましょう。
子どもの得意な領域がゲームだから、その子どもの得意な領域に、大人が入っていくことがポイントです。
大人の価値観に合わせて「学校へ行け」ではなく、子どもの得意な領域に大人が合わせて「現勢の保障➡共感➡同行」して、子どもの心をつかむんですね。
とりあえず3ヶ月、それを継続してみてください。
多様な生き方の肯定
自分より弱い人の世話をする、ペットを飼う、なども、自信をなくした子どもの力になります。
家庭で、共感し合えることが増えれば、子どもは自分の存在に肯定感を持ち始め、苦手なことや新しいことに踏み出す力が蓄えられます。
それが、ホームエデュケーション(家庭学習)の成立に繋がるのか、通級・適応指導教室・登校などの方向に繋がるのか、家庭で元気に家事をして暮らすことになるのか、多様な生き方を一緒にチャレンジしたいですね。
多様な生き方を肯定することが、不登校の子どもに自己肯定感を持たせ、将来の社会的ひきこもりを防ぎます。
猫ちゃんブログへのコメント