野良猫クロちゃんに学ぶ環境に適応して生きる暮らし

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全くなつかないクロちゃんを見ていて、思うことがあります。

クロちゃんは、自由だった野良の世界から、急に人間の家に閉じ込められました。

それでもクロちゃんは、なんとか家の中での暮らしに適応しようとして、決まった場所のトイレを使い、夜行性なのに夜は寝てくれます。

不安げに、私を見上げる、もの言わぬクロちゃんの目は、クロちゃんの意思に反して私が猫捕獲機でクロちゃんを捕まえたことを、ときどき後悔させます。

寒さや雨をしのげる場所と、新鮮な水とエサがあるとはいえ、外を歩き回れるクロちゃんの自由を奪った、それは私のおせっかい、人間の価値観の押し付けだったのではないか。

猫のクロちゃんはどんな環境にあっても生きている

クロちゃんを見ていると、いつも「適応」ということについて、考えさせられます。

クロちゃんは何も語らず、どんなことがあっても、ただひたすらそこで生きている

クロちゃんのそういう姿が、本当の「適応」ということなのかなと思います。

植物がお手本か、とも思います。

ネットのphotoACフリー画像から

草も木も、黙ってそこにあって、地中や空からの雨水をもらい、静かに生きている。

クロちゃんも、急にケージに閉じ込められたのに、恐る恐るエサを食べ、水を飲み、一言も鳴き声を発さず、毎晩静かに眠りました。

ケージから出されると、部屋中に尿スプレーで匂いをつけ、自分の縄張りを作り、朝に晩に、恋しい外に向かって鳴きながら、8の字まわり運動をしました。

外を歩けない代わりに始めた8の字まわり、今では何て賢いんだと思っています。

毛づくろいをしない猫だと思っていたら、それは安心できないからしなかっただけで、丸1年経ったところで、冬毛をごっそり舐めて外して見せてくれました。

2年目3年目には、毛づくろいをする姿を見せてくれます。

野良猫クロちゃんのひたすらの適応に学ぶ

クロちゃん自身は、幸せとか不幸せとか、つらいとか楽しいとかは考えない。

不平や不満で、悲しみに沈まない。

ただひたすら、環境に適応して生きています。

冬毛が全部抜けたクロちゃんはこんなに細い猫ちゃんです

そういう生き方を、素晴らしいなぁと思い、人生の目的は適応することだと、思えてきました。

自分の行動や気持ちを説明できない子どもたちも、「ひたすらの適応」という点で、植物にもクロちゃんにもまさる生き方をしています。

教室の場所が毎年変わっても、担任の先生が毎年変わっても、与えられた条件で一生懸命暮らそうとする。

つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと、いろいろあっても、諦めず投げ出さず不適応を起こさず、適応する、それは素晴らしい価値あることです。

適応の仕方はさまざまで、人が嫌いで、家の中で家事をするのもいい、人が好きで、外で働くのもいい。

学校が嫌いで、家の中で過ごすのもいい、食べること・眠ることへの適応、ペットに心を開く適応、家族の役に立つ手伝いへの適応、生きていることへの適応、その人の得意不得意で、適応はどんな形でも良いように思います。

植物のように、生きているだけで嬉しい。

野良猫クロちゃんの、この3年間の適応の姿を見ると、どんな形の暮らしでも、どんな形の生き方でも、素晴らしいのではないかと思うようになりました。

たくさん稼がなきゃいけない、人の役に立たなければいけない、そうではなく、植物のように生きていること、クロちゃんのように与えられた条件で適応して暮らすこと、それを喜んでくれるような相手や家族がいること、そんな暮らし方がいいなと思うこの頃です。

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