こだわりが強い人の認知の仕組みを理解しよう 1

なぜこだわるのか

こだわることで、落ち着く人がいる。

例えば、幼児期に、気に入った T シャツを毎日着たがる。

お母さんは、洗濯ができなくて困る。

この子はこれが気に入ったなと思ったら、すぐに洗い替え用の2つ目を買おう。

そのシーズンのうちに、ワンサイズ大きいものも、来年用に買おう。

感覚に過敏があるため、感触が同じもの・見た目が同じものが、気持ちがよいのだ。

幼児期であれば、洗濯する・清潔にするという価値観が、まだ難しい子もいる。

他にも、毎日朝食はフライドポテトと決まっていたり、登園や登校までの道順が必ず同じでないと怒るという子もいる。

親の臨時の都合や、一般常識を言って聞かせるということが、とても難しい。

子どもの年齢が小さければ小さいほど、こだわりは保障してやる方が、家族とも友達ともトラブルにならない。

本人は、思いを遂げることで安定する。

本人になったつもりで、服の感触や食べ物の味覚を感じたり、世の中を見たりするようにしてみよう。

こだわりは身の守り行動

こだわりで困っているお母さん方には申し訳ないが、私は子どもたちのこだわりが好きだ。

自分にも、似たところがある。

トップスの首についているタグの感触を、私は嫌う。

チクチクして、気になって嫌だ。

購入すると、一番にそこを切る。

気に入ったポロシャツがあると、同じものを2つ買う。

ボトムスも、同じズボンを2本買う。

靴下に至っては、気に入ると同じ靴下を、追加して5足買う。

購入する洋服や靴下の色は、大体無地のグレーと決まっている。

食事も、毎食同じでも抵抗がない。

むしろ、好きなものを繰り返し食べることが好きだ。

一つの方法に決めていると、考えなくていいし、取り掛かりが楽なのだ。

子どもたちのこだわりを保障する方向で、家族との暮らし、社会との暮らしが楽になるように、考えたい。

こだわりと常識の間を、工夫してやりたい。

聴覚情報よりも、視覚情報で脳内イメージを脳外に同時提示

こだわるということは、1つのやり方を守るということだ。

1つしか思い浮かばず、1つしか見えない。

2つの考え方を、脳内で比べるということが難しい。

脳の中が、自分の考えや自分の気持ちでいっぱいで、相手の考えや相手の気持ちがわからない。

お互いの脳の中は見えないので、言葉で言って聞かせるということが難しい。

相手の言葉では、イメージがわかないのだ。

そこで、言葉だけの説得から、脳外に見えるように、身振り・絵・写真・実物・文字を見せると良い。

脳外に、イメージそのものを出すと、わかりやすい。

2つの選択肢がある、たくさんの選択肢があるのであれば、それを脳外に見せることだ。

言い聞かせの聴覚情報よりも、イメージが見える視覚情報の取り込みが得意な子に、その方が分かってもらいやすい。

本人の気持ちと、常識の学習場面は、分ける方が客観的になれる

こだわりの強い子は、自己モニターが難しい。

自分と他者を比べる、ということが難しい。

他者から見て、自分がどう評価されるかということに、興味を持つことが難しい。

それで、仲間への同調よりも、自分のこだわりの保全になりやすい。

ジャンケンの勝ち負け、鬼ごっこの勝ち負け、トランプやかるたの勝ち負け、あみだくじなども、 本人が参加しているときは、感情が大きく関わっていて、冷静に、偶然性や役割交代を学びにくい。

「ジャンケンは3種類しかない。勝ったり負けたりする。偶然の結果だ。」

鬼ごっこの場面で言って聞かせようとすると、本人は勝ちたい気持ちをわかってもらえずに、かえって怒りや興奮がヒートアップする。

本人が直接関わっている広い空間の実際の場面では、できるだけ本人の「気持ちをわかったよ」と言ってあげると良い。

落ち着いている時に、狭い空間である机上の場面で、自己モニターや常識を、学習で提示すると良い。

ジャンケン・鬼ごっこ・トランプやかるたの勝敗スキルは、絵・写真・映像で見せ、そこに言葉の名札付けをするのが、一番わかりやすいと思う。

以下のように、感情を入れない写真で、もともとの意味を、「できたりできなかったりする3つのくじ引きのようなもの」と同時に呈示して見せよう。

その後、実際の場面を想定して、立った広い空間で、2人でロールプレイをすると良いと思う。

ジャンケンが難しいときは、グーチョキパーの3種でなく、グーパーの2種ジャンケンで始めるといい。

ホールや体育館での鬼ごっこも、写真やで予告で見せておくと、全体が見えてわかりやすい。

校庭や体育館へ移動してからの説明は、空間が広すぎて、起きることの全体を見るということが難しくなってしまう。

「運動」、「走る」、「尻尾を取った人と取られた人で並んで座る」、「応援する」が目標で、勝ち負けを強調しないことだ。


「しっぽ取りゲーム」

環境である大人も、途中経過や、負け・80点・最後を大事にする

小さい時から、勝つこと・100点・1番先が良いことだと、価値観がひとつだけ刷り込まれているから、勝ちにこだわる。

負ける側の存在が、必要不可欠な大事な存在であるということは、見えない。

参加すれば、ゲームは勝つことも負けることもある。

運動会は、一番もビリもある。

2つの評価、2つの役割は、仕方のないことだ、そういう役割交代が難しい。

世の中に、勝つことが良い、100点が良い、という価値観のあることを、最初に身につけてしまうと、それ以外を考えられないのが、発達に凹凸のある方たちだ。

勝ちにこだわる特性に気付いたら、親も保育士も先生も、途中経過の努力や、負ける立場の存在意義を、大事にする言葉をかけよう。

「トリを務める」といって、最後が力のある人、という場面もある。紅白歌合戦のように。

①「ゲームだから勝つことも負けることもあるね」「ゲームが得意な人も苦手な人もいるね」「ゲームが好きな人も嫌いな人もいるね」と、毎回第一声で予告する。

②ゲームの目標は、「楽しく」「仲良く」「気持ちよく」にする。

③ゲーム後の評価の言葉は、「楽しくできたね」「仲良くできたね」「また今度ね」にする。

④勝ちにこだわる子を見かけたら、負けた側に向かって「負けてくれてありがとう」「負ける人がいないと勝てる人が出ない」「最後の人がいないと一番も二番もいない」と、存在意義は同等であると、ニコニコと言葉をかけてねぎらう。

⑤「先生は、負けの役、最後の役の人に、有難うと言いたい。大事な人です。」と言う。

⑥鬼ごっこやドッジボールなどで「勝ったチームは何々、勝った人は誰々。」というのを止めて、「何点差でした、残ったのは何々チームでした、誰々さんが最後に残りました。」にする。

⑦子どもが喜ぶことは、ジャンケンで「負けた人から取りに来る」「負けた人から並んでください」など、負けた順優先という扱いにする。

⑧反対に、子どもが避けることは、ジャンケンで「勝った人は全部、負けた人は半分やってください」など、勝った順に重労働を担うようにする。

子どもが勝つことにとてもこだわるのは、我々大人も勝つこと・100点・1番が良いことだと、気が付かないうちに子どもに偏った価値観を刷り込んでいないか、意識的に我々の行動を見直そう。

それが、勝つことにとてもこだわる子に学ぶということだ。

勝つことがいいことだとする競争の狭さを、存在の平等性・多様性に、我々も考え方を変えていく行動変容のチャンスである。

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