現勢の保障と得意な領域
病院の発達相談に、5歳、年長児のAさんが、ご両親とやってきた。
私がベビーブックを持って待合室に迎えに行くと、Aさんはうなり気味に泣くように興奮していて、待合室に戻そうとするご両親の説得を振り払いながら、病院の廊下を歩いていた。
お父さんによれば、病院が嫌いだそうだ。
病院は、子どもにとって発熱や注射など辛い時に来る場所だから、何をされるか分からず怖くて不安だったのだと思う。
私がご両親に向かって「廊下の端まで行ってみましょう。行き止まりまで行くと、終わりが来て戻れます。」と言ってみた。
梅津八三のいう現勢の保障である。
また、病院に来た目的がわからないと、家に帰る車の駐車場の方向にAさんの気持ちが向かうと思ったので、その子が歩く方向について歩きながら、「あっちでこの本見ようか 」と戻る方向を指さして、ベビーブックを見せた。
Aさんは、チラッと見てくれたが、表情はまだ固い。
スマホをいじりながらならば安心して着席してくれる
歩きながら、ご両親に「お子さんは何が好きですか」と尋ねると、「スマホの自分の画像と、『花さかニャンコ』の動画を見るのが好きです」と、得意な領域の情報を教えてくれた。
初めての場所、好きではない病院で、Aさんが好きなスマホは、確定域=安心安全の基地となる。
「差し支えなければ、スマホをお子さんに持たせてみてください」とお願いした。
Aさんは、スマホを手にした途端笑顔が出て、操作のために足が止まった。
切り換えの提案のチャンスだ。
「あっちで、この本見よう 」と再びベビーブックを見せると、一歩先に診察室に向かう私についてきた。
ご両親も同行してくれているし、大好きなスマホを手に持っていれば、Aさんは少し安心して、新しい場所に踏み出すことができる。
スマホ効果か、新しい場所である診察室でも、ご両親の間に挟まって椅子に座ってくれた。
Aさんは机の上でスマホの操作を始め、上手にお気に入りの自分の画像や、花さかニャンコの動画をピックアップして見せてくれた。
落ち着いているときは社会ルールにも応じる
しかもご両親の言い聞かせを聞いて、とても小さな音で動画を聞いている。
現勢が保障され、得意な領域に共感してもらえれば、こちらの依頼「小さい音」も受け入れてくれるのだ。
シンガーソングライターの谷山浩子が 、NHK みんなのうたで、春にだけ歌う曲が、この「花さかニャンコ」らしい。
Aさんの得意な領域である「花さかニャンコ」について、5分ほど、私がご両親に質問したり、好きになった経過を聞いたり、現在どうしているかを聞いたりした。
すると、スマホで自分の画像や花さかニャンコ動画を見ていたAさんは、私が机の上に出しておいたベビーブックに手を伸ばし、めくって眺め、「トーマス」と、ひと言喋った。
花さかニャンコを基地に、こちらの提案に踏み出してくれている。
ご両親の本日の相談の主訴は、①就学相談、➁療育相談、③医師の診断、④福祉の支援制度の利用についての相談だった。
90分の相談の間、私の目と手はAさんに向けられ、楽しい時間にしなければならない。
私の脳内と言葉は、ご両親を相手に上記の4つの主訴に答えねばならない。
そこで私はAさんがスマホの花さかニャンコを聴きながら、楽に楽しめそうな長い仕事を考えた。
得意な領域からは 新しいことへの踏み出しが起きやすい
私が最近の10年程使っている、スリット通し教材がある。
ダイソーやセリアなどの100均で販売している、超小型の脳トレゲーム「立体色並べ」である。
本来のゲームの趣旨を理解する対象年齢は、7歳以上と箱書きにあるが、私は玉入れの次の段階のスリット通しとして、3歳ぐらいの子どもさんからこの教材を使っている。
本来の遊び方は、自分の色のコマを縦・横・斜め、いずれか4コマを先に並べた方が勝ち、というゲームである。
私は、10年間まだ一度も、その本来の遊びに使ったことはない。
もっと初期的に、コマを上から入れるだけ、という教材として使っている。
子どもよっては、2色のコマのうちの1色を片側に集めたり、2色を交互に入れたり、豊かな発想で自分で遊びを工夫する子どももいる。
コマは6×7の42個あるので、早くても1回完了するのに3分ほどかかる。
5年ほど前までは、現在の大きさの2倍ほど大きいものも販売されていたが、材料費の高騰からか、私の住まいの近辺では、今は主にこのサイズひとつになった。
縦×横は9×13cm 、一つのコマの大きさは直径1 cm ほどである。
3歳の子どもがコマをつまむには、小さくてかなり難しい。
5歳、年長児のAさんは、やや楽につまんだ。
上から入れるということが理解できないで、穴に直接コマを入れようとする子どもさんもいる。
正面の穴は見やすく、上からのスリットは見えにくいからだ。
Aさんは、ひとつ私がやって見せると、すぐに入れ方を理解して、楽に上のスリットから入れた。
しかし気が急くのか、不器用なのか、42個の中の3~4個は時々こぼした。
1回で飽きるかと思ったら、2回目をやった。
3回目もやった。
花さかニャンコのスマホ以外にすることのない病院の診察室で、Aさんはこれでしか遊べないと思ったのか、様々にバラエティを作りながら、60分間この立体色並べを飽きずに繰り返してくれた。
お気に入りを集中して楽しむ
気に入ったものに対しては、根気がよく集中力がある。
くもんのくるくるチャイムなどはそういう教材だ。
得意な領域に共感し、得意な領域から付き合うと良い、と思う理由でもある。
42個のコマを入れ終わった後で、ザーッと一気にコマを出すことができるのも、気に入ったようだった。
その繰り返しのおかげで、私はご両親と、就学相談、療育相談、医師の診断、福祉の支援制度の利用の4つについて60分間話し合うことができた。
Aさんが踏み出してくれた立体色並べについては、目で見守り、手で助け、落ちたコマを拾ってやるだけでよかった。
現在は、毎日保育園に行っているので、家での生活自体に困ることはないそうだった。
➀就学相談については情緒特別支援学級を勧めた。ご両親も納得された。
➁療育相談については小学校の通級指導教室(別名をことばの教室あるいは発達相談室)へ今から定期的に通い、学校という場所に慣れておくことを勧めた。
通級指導教室を利用できるように、園長先生から教育委員会に伝達してもらうよう、保育園へ依頼書を書いた。
③医師の診断書については、当院の小児科医を午前中に受診し、その場で診断書を3通書いてもらえるように手はずをとった。
当院の小児科医は自費のかかる診断書でなく、診断書と同等に有効な「診療状況報告書」に診断名を書いてくれる、親切で優しいお医者様だ。
④診断書の提出先は、療育手帳取得のための児童相談所、通級指導教室利用のための教育委員会、 来年4月の入学時から障害児等放課後学童を利用するための福祉受給者証発行の自治体福祉課である。
お父さんに訊かれて、スマホについても相談をした。
ご両親の使わない機種を通信契約解除して、通信できない状況でAさんが(ある時)使うようにしたらどうか、と提案した。
保育園には、スマホを持たないで、置いていけるそうである。
初めて通級指導教室に行く時など、通信できないスマホを持って行って、先生に得意な領域を見せると良いと思った。
お父さんがスマホへの過集中を危惧していたので、「スマホ1点だけにならないようにするためには、花さかニャンコなどの好きな物を応用して、花さかニャンコのお絵かき・花さかニャンコの文字・花さかニャンコの数につなげるなど、アナログな教材やアナログな付き合いを工夫する必要がある」と伝えた。
ここで、初診の相談は終了となった。
終わりの合図
Aさんに「終わり」を伝えるために私の車の鍵を出して見せて、「これ持って帰ろうか」と立体色並べの箱を差し出してみた。
車の鍵のような実物は、子どもにとって最もわかりやすい合図となる。
その次にわかりやすいのが身振りである。
Aさんは終わりを理解して、立体色並べを箱にしまい、スマホをお母さんの鞄に入れ、立体色並べを手に持って診察室を後にした。
私はインターネットで、谷山浩子の花さかニャンコを検索し、可能な限り絵や文字をプリントアウトした。
子どもの好きなもので教材を作って係わりの初めに使うと仲良くなれる
年齢が小さい子どもであれば、花さかニャンコの填め板を、ベニヤ板で切り抜かればならない。
ベニヤを買いに行くところから始まり、花さかニャンコの填め板を糸のこで切り抜くには、丸1日かかる。
15年間の親の介護の期間に、教材準備を省エネにすることを覚えた私は、ダイソーで木製組み合わせパズルを買い、そこに絵柄を貼り付けるやり方を編み出した。
ダイソーの木製組み合わせパズルは、綺麗に磨かれ仕上げられている。
厚みもあり、手の感触もぴったりだ。
絵柄の分解と合成が出来る子どもさんであれば、これで十分遊べる。
絵柄をボンドで貼り付ければいいので1時間もかからずに制作できる。
脳トレゲーム「立体色並べ」と木製組み合わせパズルを、100均で見かけると私は買い占めている。
8人までの特別支援学級だったら両教材を4個ずつ、就学奨励費や図書費・教材費で学校に購入してもらえば、学級で2人組で楽しめる。
たまたま A さんはベニヤ板の立体的な填め板でなくとも、プリントのような平面を扱えそうだった。
好きなものを塗り絵や文字なぞりにして学習につなげる
そこで、保育園や通級指導教室及び自宅で、色塗り・お絵かき・文字なぞりなどができるようなプリント教材にして看護師さんに預け、保護者が医師を受診した際に渡してくれるよう、看護師さんに依頼した。
私の小児科勤務は、年間100日ほどだが、2歳から15歳まで、年間40人ほど、上記のAさんのような新来の方の相談がある。
1997年から2024年までの27年の勤務で、新来の相談の患者さんは計1000人ほどとなった。
今後も、教材の紹介とともに、子どもの行動理解やアプローチ法についても、紹介していければと思う。
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