音声のない自閉症の一平君との出会いは26年前、病院小児科の深澤尚伊医師の紹介でした。
出会った時の一平君は7歳、小学校の特別支援学級の2年生。
私の発達相談は自由診療で、費用がかさみますが、お母さんは一平君の療育に熱心で、毎週に通ってきました。
私も一平君の小学校を訪問し、担任の先生にお会いして、先生にひらがなタイル50音表を貸し出し、音声に代わる、文字学習をお願いしました。

夏休み、一平君のお宅に、家庭訪問したことがあります。

その時、私の訪問と入れ違いに、お出かけされるお父さんに、一度だけお会いしたことがあります。
一平君の身振りと文字
自閉症の一平君には、大好きなルーティーンがあります。
同一性の保持、こだわり、と言われる行動ですが、決まった場所で、決まったことを確認することで、一平君は安心します。
お母さんは「こだわりをやめさせようとすると、別のこだわりが生まれる」と達観しています。
少しずつ変化する一平君のこだわりに、33年付き合ってきたお母さんの経験則です。
小学生の頃は、身振り、文字、数の学習などをしていました。


療育での学習が終わると、2階の産婦人科の自動販売機で赤ちゃんのおむつを買ったり、病院玄関のお見舞いの花の自動販売機で2000円の花を買ったり、ブリックパックの自動販売機でジュースを買ったり、外の薬局へ走って行って血圧を測り、血圧測定の用紙が出てくるのが、一平君の楽しみでした。


病院の6階にある屋上に行って非常口の看板を触ることも、9年間毎回欠かしませんでした。

これらの確認行動は、中学生まで続きましたが、高校生では終わりが来ました。

文字を書くことは一平君の声の代わり
中学校も、特別支援学級へ、自転車で通いました。
お母さん曰く「一平は、色々な活動がある学校が、大好きなんです。」
勉強が好き、学校が好きな一平君は、つらいことがあっても不登校にはなりませんでした。
一平君は勉強が大好きで、音声の代わりに、書くことを好みます。
トーキングエイドをお家に貸し出し出したこともありましたが、現在の iPad と違って大型で、使いにくかったようです。

療育の後で、帰りにどこのお店に寄りたいかを、一平君は毎回書きます。

お母さんは、行けるか行けないか、マルとかバツで答えます。
中学2年生で食べなくなった一平君
中学生の時、お家の食事で、虫の居所が悪かったお父さんに、「そんな食べ方なら食べるな」と注意され、傷ついた一平君は、そこから何も食べなくなりました。
自閉症の方は、感覚過敏ゆえの偏食があります。
また発達性協調運動症という、手指の不器用が重なっている人もいます。
一平君は2年間、わずかに、ココアを飲むだけ。
お母さんも、学校の先生も、非常に心配しました。
私も一平君に「食べてください」と床に土下座して頼みましたが、意味の取れない一平君は、土下座の身振りのオウム返しをしてくれるだけでした。
高等特別支援学校に進学し、穏やかで丁寧な支援を受け、仲間と出かけた校外学習で、一平君はラーメンを一本ずつ口にしました。
病院の療育でもチョコ味のソイジョイを出したところ、2年ぶりに一平君が食べ、拒食が終わりました。

電動歯ブラシで、歯磨きの学習もしました。

歯と歯茎の境目を磨く、ということが、相向かいでやって見せても、鏡や写真で説明しても、なかなか難しいです。
作業所ありさんちでかりんとうを製造する
高等特別支援学校を卒業し、しゅんらんという施設でのホチキスの針詰め作業を経て、若い仲間がいる作業所ありさんちをお母さんが探し出し、一平君が通うようになりました。
私も一度、ありさんちをお訪ねし、かりんとうの製造工場を見せてもらい、担当指導員さんとお話ししたことがあります。

音声のない一平君は、口頭で挨拶ができないため、作業所のかりんとうの販売の外仕事に行けないので、2013年から私と一緒に、病院内で看護師さんたちにかりんとうを販売することにしました。
模型のお金やプリントによる、お金の学習も2019年から行なっています。

お母さんの話によると「一平はお金が大好きになり、1000円札と500円玉と100円玉が好きです。5円玉と1円玉は私にくれます。」



2021年から、iPad で、「かなトーク」というしゃべるアプリと、

「レジスタディ」という、おつり計算機のアプリを使って、かりんとう販売をしています。


油で揚げてない、ヘルシーなかりんとうは、皆さんに好評です。

アプリ「レジスタディ」でお釣りを上手に出せる一平君を見て、看護師さんたちが褒めてくれます。

かりんとうを完売し、一平君は満足して、アプリ「i金種計算機」でお金の集計をします。

お母さんの困りごと
一平君と33年暮らして、お母さんの困りごとは毎日たくさんあるのですが、お母さんは一平君と暮らすことを生きがいにしています。

一平君は、お母さんが使ったことがある「裏紙」集めに、きりなく熱心になります。
また、病院の療育で私が使うノートやペンを、お母さんと行く買い物で、きりなく買おうとします。

一平君にとって、お母さんや私が、一平君の生活文化のモデルなんですね。
1枚はいいけど5枚はダメ、病院ではいいけどよそのお店ではダメ、などの条件の理解が難しいので、お母さんは「ダメ」に統一しています。
重度の手帳をもらっている一平君の力では、お母さんの考えが正解です。
一平君自身も、お母さんから学ぶ、マルかバツかの両極端で、行動をコントロールしようとしています。
我々も、微細な条件に合わせて行動を変えることは、難しいですね。
一平君が文字にしたお父さん
お父さんは最近の5年間、介護状態になって、お母さんは非常に苦労しています。
療育の前に、一平君が血圧を測る間、立ち話でお母さんに「お父さんの具合はいかがですか」と聞くのが最近の常でしたが………。
6月「おおぎやラーメンのメニューを作ろう」、7月「モスバーガーのメニューを作ろう」と私が誘うと、一平君は血圧を測らずに、すぐに療育室に来てくれたので、お母さんにお父さんの状態を聞かずにいました。
8月、学習の一番最後に、一平君が自発的にメニュー用のスケッチブックの1枚を切り取って、突然「おとうさん」と書き始めました。
一平君が家族について書くことは初めてだったので、「書いていいよ」と見守っていると、

おとうさん くるま くつ
さけ のむ
茶 のむ
たべる
おふろ
おとうさん トイレ
と、一気に書きました。
私もお母さんも、びっくり。
一平君が珍しくお父さんのことを書くから、お母さんに「お父さんは最近どうですか」と尋ねると、「実は5月に亡くなったんです。」
そうか、6月7月と私からお父さんについて、お母さんに尋ねなかった。
お母さんも話題にしなかったが、一平君はお父さんについて考えていて、私にお父さんの5年間の変化を教えてくれた。
文字を獲得した一平君が、お父さんの変化を書いて、私にしゃべった。
誰も話題にしないのに、一平君から話してくれた。
文字を獲得した一平君が、文字でコミュニケーションしてくれた。
療育で一平君と学習した26年間は、この日のためにあったような気がして、一平君の考えと、文字伝達の能力に、驚き、感動した日でした。
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