座位運動・立位スクワット
認知機能も歩行運動機能も、次第に退行する。
それは、認知症があってもなくても、誰も同じだ。
老化には、逆らえない。
一番は当事者のヤエさんが、苦痛のない楽な日々を送れることだ。
介護者の私もまた、楽になろうと、楽をしようと、様々に生活を工夫していた。
私が夕食を並べる間、ダイソーで売っている、一番弱い握力アップハンドルを握らせた。
テレビを見ながら、時間をつぶしてもらっていた。
手がふさがる仕事があると、問題行動は少ない。
ヤエさんは食卓テーブルで、無洗米のお米研ぎもやってくれた。
無洗米なら研がなくても食べられるから、研ぐのは形だけでいい!
椅子から立ち上がるスクワット
ヤエさんは、自宅では両手で手すりにつかまればトイレまで移動できた。
車いすの押し手ハンドルに両手でつかまれば四つ足同様に、食卓まで歩けた。
96歳になっても夕食後、歯みがき後は90歳ごろから続けているスクワットを毎晩一緒にやった。
手すりに両手でつかまっていれば、両足かかと上げや片足もも上げもやれた。
私が1から20まで数えて号令をかける。
97歳からは歯みがきの後で、前方の洗面台のふちにつかまれば、スクワット代わりの運動ができた。
高い椅子から始めて、低い椅子でやれば、スクワットのように運動負荷が大きい。
ヤエさんは5回くらいやってくれる。
96歳くらいまでは笑顔もあったが、97歳くらいから言葉が出にくくなるのと同時に笑顔も減った。
それでも、90歳ごろから続けてきた運動は、わかっていてやってくれた。
ある日急に運動しろと言っても難しいが、洗面や歯みがきのように、認知症発症の早い時期から習慣にすると、お互いに運動を継続しやすい。
ヤエさんのように歩けなくなっても、前方につかまって立位と座位を繰り返すと、身体の血行が良くなる。
冬は手袋をして冷たい洗面台につかまっていたが、冷たい手も運動で温まる。
運動の意味が取れなくても、素直にやってくれる、いつもご機嫌なヤエさんだった。
椅子から椅子への移乗運動
97歳、4月はグループホーム、5月は入院、6月からまた在宅介護で暮らした。
我が家のホームエレベーターは幅75cm奥行55cmと狭いので、車いすごと入れず、ニトリのアームつきのキャスター椅子でギリギリ座れた。
椅子の移乗が、ヤエさんの運動になった。
移乗が嫌なので、ヤエさんの全身に力が入る。
朝はベッドからキャスター椅子へ、そして車いすへと2回の移乗があった。
夕方は車いすからキャスター椅子へ、そして夕食の椅子へ、最後はベッドへと、3回移乗した。
移乗のたびに私もヤエさんも緊張し、無事に移乗が終わると二人でほっとした。
身体の介助をされるとくすぐったくて介助を嫌がる
脇の下に手を入れられることがヤエさんは大嫌いだった。
自閉症の方のように、感覚過敏が増していた。
くすぐったくないように、バスタオルを私の肩に置いて、ヤエさんの脇に挟んで介助するのだが、それでも抵抗した。
その嫌がり方は激しくて、私に触られるくらいなら「自分で立ちます」という勢いだった。
しかしつかまって立っては見たものの、その後どうにもできないので諦めて、介助させてくれた。
介助ベルトというものがあって、介護保険で使ってみたが、上へずり上がってしまい、うまく使えなかった。
結局、ヤエさんが身構えないうちに、早いタイミングで意を決して行なう感じがうまくいった。
押し問答になってしまっては、認知の後退で意味を理解しないから、言葉による説得は難しかった。
赤ちゃんや幼い子をだますようなタイミングで、さっさとやるほうがよかった。
ヤエさんの拒否にあってしまったときは、運動だと思って、ヤエさんの抵抗の立位を見守った。
そうして、自力移乗がだめだとわかると、介助させてくれた。
早い時期に使うべきだった車椅子と福祉車両
車いすも、車いす用福祉車両も、必要になった時より早く、使えばよかった。
杖と同じ、歩行器と同じで、車いすも福祉車両も、ギリギリ必要になってから使い出したのだが、もっと早くに使うべきだった。
本当は、杖のときに歩行器で散歩をし、歩行器のときに車いすへ楽に移乗して、車いすと同時に福祉車両に乗り換えるべきだった。
ヤエさんを見送って、私には親の介護のチャンスがもうないのだが、次の介護に出会うことがあれば是非そうしたい。
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