ことばの機能の退行

指さしで「猫だ」
2016年1月から2018年1月までの2年間、昼間はアテント尿2~4回分パッドで、夜間はライフリー尿7回分リハビリパンツで、やえさんの排泄はうまくいった。
2017年、97歳、要介護4のヤエさんの、言語・移動運動・嚥下の退行が進んだ。
言葉が出ないで、デイサービスの入浴準備の血圧測定を拒否したり、表情「イー」で怒ったり、介護士さんの介助の手を振り払ったりすることが増えた。

言葉が出なくなり、テレビに向かって指さすことが、「相撲だ」「猫だ」という叙述の言葉の代わりになった。
私も指を出して指さすと、嬉しそうに私を見た。
音声の言葉のない「指さし会話」だった。
ヤエさんは一人にされると、食後、残っている牛乳をテーブルにまけたり、テーブルをたたいたり、テーブルクロスを丸めていたりした。

食後一人にするなら牛乳は取り去り、テーブルには薄い座布団を敷いて叩いても消音になるようにした。
言って聞かせても難しいから、物理的な道具で「消音なら叩いていてもいいよ」と相互に歩み寄ることが解決になる。
移動運動の退行

朝、デイサービスの車に乗るとき、ヤエさんは自分で手足の運びの計画が立たず、乗り込みが難しい。
目がほかの景色に行ってしまい、1~2分乗り込めず、介助の手を振り払い、立ったまま怒る場面が増えた。
ヤエさんを見ていると、自分が仕事でかかわる発達障碍児が、注意集中がそれるという状況がよくわかる。
分からないと集中しない、できないとやる気になれない。

乗降の行動計画が立たず、不機嫌になる
人は皆そうなのだ。
そして私も将来認知症になれば、発達障碍児やヤエさんと同様の行動になる。
いつもそう思って、他人事ではなかった。
移動は、デイサービスでは歩行器を押して、自宅では車いすを押して、同行者がいればかろうじてヤエさんも移動していた。
歩行器や車いすで、ヤエさんが4つ足になっていても、転倒の危険があって移動は目が離せない。

2018年、97歳、手でつかまっていても足を横に出すことが難しくなった。
テーブルに両手をついても、テーブルが高いと、椅子から立ちがることが難しくなった。
手の位置が椅子の両肘くらい低くないと、ヤエさんが頭を下げないと、立ち上がれなかった。
嚥下の退行

2017年、97歳、要介護4、食事に長い時間がかかるようになった。
器を持つことが難しく、箸からスプーンになり、飲み込みに苦労しているようだった。
それでも、一生懸命食べてくれるヤエさんだった。
食事の他に薬の飲みこみも難しくなった。

多分、舌の運動が退行しているのだ。
薬をのどの奥のほうにポトンと落としてやるのだが、異物感からか、また舌の上に戻ってしまう。
水で薬を飲もうと、薬を呑み込む段になると、水だけ飲んでしまい、薬が残る。
手すりにつかまって、立って飲むとうまくいくこともあった。
「薬を飲む」と文字や絵に書いて見せると、飲めることもあった。

今、振り返れば、薬を1~2日、飲まなくても、97歳のヤエさんの生活行動が乱れることはないのだから、やめておけばよかった。
そういう頭の柔らかさを失っていた。
初めての老人保健施設2週間
在宅介護の難しさは、家族にとって「初めての経験であるということ」にあると思う。
在宅介護も2人目であれば、経験から、介護者の構えもゆったりとする。

あるいは介護士さんのように何人も見た経験があれば、客観的に見ることが可能になる。
今起きていることの先が見えるから、客観的に構えられる。
私も15年以上前に父親の通い介護を経験したが、認知症はなく腎不全で亡くなったので、認知症の同居介護の経験は初めてだった。
97歳、要介護4のヤエさんの、言語・移動運動・嚥下の退行と比例して、介護者の私の身体的・心理的疲労が増した。
2018年、1月、老人保健施設へ、初めてヤエさんを預けた。

ヤエさんは車で連れていかれるときも、老健へ置いていかれるときも、拒否する力はもうなく、騒がず、静かに従ってくれた。
老健では、車いすとオムツになった。
インフルエンザ警報でなかなか面会できなかった。
ようやく面会した車いすのヤエさんは、私と目も合わせず、表情も暗く、うなだれて悲しそうに見えた。
虐待されたサ高住3日間

頬や顎、口周りの赤み
2018年2月、もう少し少人数の所がヤエさんには合っているのかと、ケアマネさんに紹介された高齢者デイサービス付き介護住宅を、ヤエさんと一緒に見学した。
約束して見学した昼間は好意的で、経営説明もデイの活動も食事も素晴らしかったが、それは経営戦略だった。
そこでは、ヤエさんが介護を拒否するので、虐待された。
初日のパジャマへの着替えの言い聞かせのしつこさを、おかしいと思いながらヤエさんを預けて帰宅した私だった。
3日目にたまたま私が突然届け物に行って、歯みがきで虐待されている現場を知った。

トイレの壁に擦ったのか?
居室で私と2人になり「ヤエさんうちへ帰ろう」と言ったら、ヤエさんが、小さく「うん」と言った。
「1か月預けてくれたら言うことを聞かせてみせる」と言われたが、3日分の介護料を自費で23万円払って、その夜そのまま連れ帰った。
帰宅の車中で「ヤエさん、つらかったね、ごめんね」と言ったら、ヤエさんが「平気だった」としゃべった。
驚いた。
グループホームと入院

3月は6年通ったデイサービスさんで、温かく手厚く見てもらった。
ヤエさんも嬉しそうだった。
しかし、言語・移動運動・嚥下の退行はさらに進み、私もヤエさんの今後のオムツの介助が分からず、4月からグループホームへ入れた。
ヤエさんは拒否しなかった。

別れ際、私が「家に連れて帰れなくてごめんね」と言うと、静かに微笑んで、気にしないでというかのように、サヨナラの手を振ってくれた。
帰宅する車の中で泣けた。
グループホームは温かい介護をしてくれた。
嚥下の退行で水分摂取が難しくなり、4~5月は脱水で尿路感染症が起きて入院した。
病院は家族が毎日付き添っていいので、1か月間毎日昼食から夕食後、眠るまでヤエさんと一緒にいた。

私は毎日ヤエさんに会えること、世話できることが嬉しかった。
ヤエさんも私が行くと喜んでくれた。
毎日、看護師さんがやって見せてくれるオムツ交換で、オムツの介助が分かった。
私はヤエさんを自宅へ退院させる決心をして、6月からまた在宅介護を再開した。
そしてまた在宅介護へ戻る

2018年97歳要介護5
6年見てくれたデイサービスさんも、グループホーム並みの介護体制にしてくれて、2018年6月から10月まで、ヤエさんの最後の半年を支えてくれた。
自宅、老健、サ高住、グループホーム、病院、自宅とデイサービスと、ヤエさんにとって激動の2018年だった。
ヤエさんは要介護5が認定された。
コメント