9月20~21日の深夜、偶然 NHK 総合テレビで、パラリンピック競泳選手、富田宇宙さんのドキュメントを見ました。
パラリンピック競泳、100mバタフライの第一人者、木村敬一選手と、400m自由形の第一人者、富田宇宙選手、二人のテンポの良い会話が、明るく楽しい番組に、初めは見えました。
番組が進むにつれて、そこには、生き方や考え方の、重大な問題が現われてきました。
金メダルを目指さない相手と泳ぐ?
パラリンピックの直前に、ノートパソコンによる NHK のリモート取材で、二人が、同時インタビューされるシーンがありました。
そこで、富田宇宙さんは、パラリンピック競技者の先輩である、木村敬一選手の金メダルに対する熱い思いを念頭に、「100 m バタフライで金メダルをとって欲しいと思っている」と語ったのです。
そのとたん、木村敬一選手の顔が、いぶかしげに曇りました。
同じ種目の選手として、100 m バタフライを競い合う相手から、「絶対、負けないぞ」と言う闘志ではなく、「金メダルは譲るよ」とも取れる言葉が、出たからです。
その時、私も、富田選手の言葉に、違和感を覚えました。
それは、木村選手の望む言葉ではないのではないか?と思ったからです。
案の定、リモート取材が終わった後で、木村選手が胸の内を語りました。
「俺は金メダルはいらない、という相手と、闘うのか?」
木村選手は、2歳の時に視力を失い、目が見えていた記憶は全くないそうです。
先天性の全盲に、ほぼ近いところがあります。
見えている世界を知らないのだから、木村選手にとって見えない世界がすべてで、見えている世界と比較して悲しむ、という経験がなかったと思います。
それに比べると、富田選手は、3歳から水泳を始め、16歳のときに視野が狭くなる網膜色素変性症が判明。
一時はプールを離れ、日本大学ではパートナーが視力となる、競技ダンスの世界で生きようとしました。
大学卒業後の2012年に、パラ水泳の世界へ。
16歳までは、県大会出場レベルだった自分の競泳が、障害者の大会では、全国優勝に値するようになって、思い悩んだそうです。
健常者よりタイムが遅いのに、優勝できるということに、違和感があったのでしょう。
フェデラーは車椅子でテニスを闘えるか?
私はその時、車いすテニスの国枝慎吾選手と、プロテニスプレーヤーのロジャー・フェデラーを思い出しました。
フェデラーは、伝説になった、素晴らしいテニスプレーヤーです。
しかし、フェデラーが車椅子に乗って、国枝選手と闘ったら、現時点では負けるのではないか?と思ったのです。
つまり、フェデラーは、両足が動くので、現在の地位を獲得したが、もしフェデラーが、両足を失ったら、国枝選手の地位に昇れたかどうかは、不明だと思いました。
逆転の発想です。
オリンピックで活躍できた人たちが、それぞれ、手足や視力を失ったとしたら、パラリンピックで活躍する人たちのように成れるか、不明だと思うのです。
オリンピックでメダルを取った人たちは、手足や視力の自由があって、努力を実らせた人たちです。
手足や視力の自由を奪われた時、木村さんや富田さんのように成れるか?
そういう意味で、パラリンピックのメダリストのメダルは、真の自由のメダルだと思いました。
適応力と回復力と努力、その賜物のメダルに思えました。
もちろんメダルに至らなかった選手たちも、パラリンピックで、スポーツの真の自由を味わったことと思います。
富田選手が悩んだ末に見えたもの
木村選手と富田選手の、100mバタフライ、ワンツーフィニッシュの笑顔を見ると、 二人がスポーツの真の自由を味わったこと が分かります。
木村選手は、2歳から競泳に励んできたので、リオパラリンピックの銀メダルに泣き、東京パラリンピックの金メダルに、迷いなく邁進することができました。
富田選手は、視力がある頃の競泳と、視力をなくしてからの競泳の、「タイムと評価」に悩み、自分の競泳と自分の生き方に迷いました。
中途失明の富田選手の泳ぎを見ると、まっすぐ泳げないことが素人の私にも分かりました。
16歳で視力を失くした富田選手に比べて、2歳から見えない木村選手は、ほぼまっすぐ泳げます。
富田選手は、飛び込んですぐ、数 m 泳いで行って、右のロープにあたります。
1レースで、3回ほどロープの方に泳ぎ、ロープに当たっては、中央に戻ろうとしています。
素人考えですが、これは、富田選手が、中途失明のためだと思います。
まっすぐ泳げないと、タイムもだいぶロスします。
富田選手は中途失明を克服しようと、パラ競泳に励み、木村選手は先天的に近い失明を克服して、パラ競泳の第一人者になったのです。
生きることの柱が、二人とも、競泳なのですね。
しかし、抱えている障害は、それぞれに違い、克服した歴史も、それぞれに違います。
パラリンピックの金メダルに邁進できる木村選手も、タイムと評価に揺れ動く富田選手も、それぞれに、かけがえのない経験と努力をして来ました。
獲得賞金は、少ないかもしれないが、フェデラーに勝るとも劣らない練習努力を、二人ともしているのだろうと想像できます。
富田選手は、今回のパラリンピック前の悩みの経験で、障害者になっても、運動を楽しむことができる、そういう宣伝大使になりたいと、自分の方向性を定めたようです。
富田選手も、木村選手も、3年後のパリパラリンピックで、再び、大活躍されるよう、私も期待しています。
猫ちゃんブログへのコメント