
19 お母さん猫の外泊
3年目、お母さんが3日間帰ってこなかったことがあった。
初日は「あれ、変だな。お母さん、帰らないなぁ」と気にしただけだった。
2日目はクロの毒死や母似の交通事故死を思い出して、少し不安になった。
3日目はいてもたってもいられなくなり、ポスターを作って、お母さんを探しながら「探し猫」ポスターを近所に配って歩いた。
猫は我が家の北方面に出歩くことはなかったので、南方面を探して歩いた。
呼び名が恥ずかしかったが「お母さん、お母さん」と呼んで歩いた。

すると、かすかに返事の「ニャー」という応答があった。
ある一軒のお宅の1階の屋根あたりで鳴き声がする。
声のするほうへ視線をやるがお母さんの姿は見えない。
勇気を出してそのお宅の玄関のチャイムを押した。
「済みませんがうちの猫がお宅の1階の屋根に登り、下りられないでいるようなのです。勝手ですが屋根に昇らせてくださいませんか」
「そう言えば一晩中猫が鳴いていたような気がしました。どうぞ、どうぞ」
親切なお宅のおかげで私は2階に上がらせていただき、2階の物干し場と1階の屋根との間にうずくまっているお母さんを見つけた。
「お母さん、お母さん」と呼ぶが、お母さんは3日間降りられなかった恐怖からか、私と目が合っても私に寄ってこない。

私は意を決して、物干し場から1階の屋根に飛び降り、おびえるお母さんを捕まえようとした。
私が接近するとお母さんは飼い主の私だとわからないのか、恐怖心からひたすら逃げる。
私は1階の屋根の上を7周したがお母さんはつかまらない。
私も息が上がり、お母さんの恐怖心に勝てない気がした。
それでも諦めず、お母さんが2階の物干し場と1階の屋根のすき間に再び逃げ込んだのを見て、私は手を伸ばして嫌がるお母さんを引きずり出した。
飼い主の腕の中で恐怖にもがくお母さんを私は離さなかった。
私はそのお宅の主に急いでお礼を言い、自由になろうとして暴れるお母さんをぎゅっと抱いたまま我が家へ急いだ。

我が家が近づくにつれて腕の中のお母さんが静かになった。
我が家の庭で離してやるとお母さんは安心したのか、室内に入って毛繕いを始めた。
私もほっとして仕事に出かけた。
翌日私は身体のあちこちが痛かった。力を入れたせいだ。
お母さんが登ったお宅の建物の構造を見ると、ブロック塀からジャンプで一階の屋根に登れる。
お母さんはスズメを追って俊敏にその屋根に駆け上がったものの、帰りはそのお宅の屋根から下の細いブロック塀には着地できそうもなかったので、自力では下りられなくなったらしい。
狭いところに飛び降りるのは猫でも難しいことらしい。
行きは良い良い、帰りは怖いである。

猫は木登りがうまいが、降りることはへたくそだと聞く。
お母さんもそうだったのだ。
この事件には後日談があり、お母さんはもう一度このお宅の屋根に登って降りられなくなる。
私は猫をたくさん知っているわけではないが、我が家のお母さん猫は頭がいい猫の部類だとうぬぼれていた。
お母さんは初めの事件でこういうことに懲りたに違いないと私は思っていた。
しかしそうではなかった。
数週間後にお母さんは、2回目の事件を同じお宅でやったのである。
お母さんが一晩帰らなかったので私は「まただ」と予想を付けて先のお宅の庭先へ行き「お母さん、お母さん」と呼んだ。

案の定、「ニャー」というお母さんの声が返ってきた。
私はばつが悪かったが再度このお宅にお願いをして屋根に上がらせてもらい、前回よりは短い活劇でお母さんを保護した。
呆れ顔の家主さんに私は平身低頭しながら、3度目がないことを祈った。
寒い時期に一晩屋根で過ごしたお母さんの身体は汚れていた。
お母さんは文字通りの外泊から帰宅して、その晩は死んだように眠っていた。
2度あることは3度あると思って、お母さんの3回目の外泊を暫くの間心配したが、さすがに3回目はなかった。

お母さんに、スズメを追いかけると帰りが下りられないことが登録されたらしかった。
友人は「猫の外泊はよくある。きっとそのうち戻ってくる」とのんきだったが、私はあわててよかったと今でも思っている。
あの時捜し歩かなかったら初めての愛猫になったお母さんを失っていたかもしれない。
私は人に対しても猫に対してもずーっと付くタイプの人間である。
放っておけない性格、おせっかいな性質だなぁとは思う。
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