『障碍児心理学ものがたり』
私は、教育機関で障害児教育を、病院小児科で臨床発達心理を専門としている。
私の仕事の原点になっている「ぺたんこのスプーン」の話は、次のような話だ。
出典は、中野尚彦『障碍児心理学ものがたりー小さな秩序系の記録ーⅡ』第3節:食卓の系譜「ぺたんこのスプーン」(251~252頁)明石書店、2009年発行である。
著者中野尚彦は、未熟児網膜症が初めて話題となった1970年代から、視覚障害を始めとする障害児教育の研究者で、以下は、盲学校の大谷幸雄先生の重度知的障害重複学級を、中野が訪問した時の話である。
ぺたんこのスプーン
たかちゃんは、スプーンの裏表を区別しない。私(中野)が教室を訪ねた時、たかちゃんはスプーンの裏側で、給食のおかずをかき込んでいるところだった。 これでは食事の能率が悪い。担任の大谷幸雄先生は「たかちゃんにスプーンの裏表が分かりやすいように、スプーンの柄の形を変えて工夫してみたりもしたのだが‥‥‥」と、つぶやいて考え込んでいた。大谷先生は突然たかちゃんに「ちょっと貸してごらん」と言ってスプーンを取り上げ、金槌を持ってベランダに出て行き、コンクリートのたたきの上でスプーンをゴンゴン叩いて、スプーンをペタンコにしてしまった。平らになったスプーンは、裏返しのスプーンよりずっと能率よく、おかずを乗せられる。先生は「これでいいや」と言って、たかちゃんが食べるのを見ている。たかちゃんは言葉では喋れないが「これがいい」と言うかのように、せっせと食べた。
中野尚彦『障碍児心理学ものがたりー小さな秩序系の記録ーⅡ』第3節:食卓の系譜「ぺたんこのスプーン」明石書店、2009年(251・252頁から引用)
大谷幸雄先生から後日談を頂戴した。
スプーンは平らにつぶすと表面積が大きくなります。
したがって小さいスプーンをつぶした方が良いです。
後日談ですが、そのスプーンをうっかりして、給食室に返してしまい、後で職員朝会で、『こんなにつぶしてしまった人がいる』と注意を受けました。
懐かしい思い出です。 大谷
確かな観察と 新しい行動が起きる教材の工夫
この話を知った時、私には担任の大谷先生の発想が、画期的に思えた。
たかちゃんは、スプーンの表と裏を区別しない。
表と裏を区別しなくても、どうしたらたかちゃんが、自発的に、楽に、こぼさずに、スプーンでおかずを食べられるか、金槌でスプーンを叩く工夫は、たかちゃんが、現在できていることの保障から出発している。
たかちゃんはスプーンの表と裏がわからないから、「表と裏がなければ両面同じに使えるはずだ」と、大谷先生は発想した。
スプーンを叩いて平らにするなんて!普通は思いつかない。
そうであれば、例えば、子どもが T シャツの前後を区別しなければ、前後のない首周りの T シャツがあれば良い。
そういう肌着が、オネスティーズ∞という会社から、990円で販売されている。
キッズサイズの、前後表裏なしのブリーフ や T シャツがある。
前後表裏の区別が難しく、着替えが負担になっている、知的障害のある子どもさんや、認知症の大人にもありがたい。
こういう物理的な工夫が、特別支援教育そのものだ。
ユニクロさんが作ってくれたら、この半額になる。
話を本題に戻します。
大谷先生は、人が考え出した表裏や前後という既成の文化に、たかちゃんを無理に訓練して合わさせない。
自分の知っているスプーンの常識を捨てて、たかちゃんの扱い方でスプーンが機能するように改良した。
子どもが持っている力で自分の生活を組み立てる、それに対して我々は、相手の現時点の力を理解し、共感による工夫でステップアップ出来たら、教育者として心理士として人間として嬉しい。
子どもの意欲や根気を問わなくていい。
確かな観察と新しい行動が起きる工夫によって、子どもは、わかると、できると、おのずと意欲や根気や集中を見せる。
その子の現在の力で、新しい行動が起きる工夫、そういう教材の工夫、それが私の仕事の出発点である。
自分の係わる相手が、3歳であっても、98歳であっても考え方は、同じだ。
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