「子どもの世界への入り口」
中野尚彦の著書『障碍児心理学ものがたりー小さな秩序系の記録ーⅠ』明石書店 2006年 第1節:心理学について(17頁)によれば、「子どもたちの世界への入り口」が、「水道水の泡の話」(16~17頁)のような場面にある、と言う。
菅井裕行氏が、盲学校の知的障害重複学級に勤務していた時の話である。
「水遊びが好きな子がいて、盛んに水遊びをする。毎日毎日ホースで教室へ水をばらまく。どうしたらいいかわからない。ある時その子が水場でコップにダーッと水を入れていた。入れては捨て、入れては捨て、それを繰り返し長い間やっていた。何をやっているのか、なぜやっているのか、その子の気持ちを理解したいと思う。それで彼の横に行って、一緒にそれを真似してみた。 彼は必ず水道栓をいっぱいにひねって水を出す。私がせめて少し出すようにしようなんて言っても無駄だ。めいっぱいひねって入れて、それを捨てる。勢いよく水を入れて捨てる。その瞬間、ほんの少しだけ、彼が彼の顔のそばにコップを持ってきて、そして捨てる。それを私も一緒にやってみた。自分も同じように顔のそばにコップを持ってきた。その時、聞こえた。プツプツプツプツと泡の音が聞こえた。サイダーみたいな泡の音が消え消えに聞こえる。でもサイダーではない水道水だから、瞬時のうちに音は消えてしまう。だから水を捨てなきゃいけない。水道栓を全開した勢いのある水だからこそ、泡が出る。分かった。これを聞いていたんだ。これをやっていたんだと思った。そして自分も一緒にやって、「わあ、綺麗な音だね」と私が言った。そうしたら、普段、本当に視線を合わすことのないその子が、私の顔を見てくれた。そして私も一緒にやるようにしたら、しばらくしてどういうわけか、それをやらなくなった。」
中野尚彦『障碍児心理学ものがたりー小さな秩序系の記録ーⅠ』明石書店 2006年 第1節:心理学について「水道水の泡の話」(16~17頁)
のちの、菅井氏の子どもの心への共感の発見を、同書に、次のように掲載している。
「最初からすぐにわかったわけではない。本当にそうだったかと言われると確信があるわけでもない。出来事はそれだけであるが、その時発見したことが、今の私の子ども理解の出発点となっている。子どものことをわかるということはこういうことなんだなと、その時思った。子どもと過ごす中で、はっとさせられる場面に出会う。それが自分の見方や枠組みを大きく変えていく、ということがある。」
前出:17頁
子どもに共感の言葉を伝える
子どもへのアプローチの最初は、目の前の子どもの考えていることに、同行し共感することだ。
菅井氏はそうすることで、子どもがコップの泡のプツプツ音を繰り返し聞いていたことを、知った。
そして、共感のことば「きれいな音だね」を伝えたとき、子どもと目が合った。
何をやっているのかをしばらく観察し、なぜやっているのか子どもの気持ちを考える、それが係わろうとする我々が、最初にやるべきことだ。
子どもの行動を、大人の価値観でいいか悪いかを判断することが、最初ではない。
私も、似ている体験をした。
子どもが走って行って接近したものを私が言葉にする。「自動販売機だね」
子どもが見つめているものを私が言葉にする。「タダノのクレーン車だね」
子どもが触ったものを私が言葉にする。「非常口のマークだね」
子どもが指差したものを私が言葉にする。「TOTOのマークだね」
そうすると、言葉のない自閉症の子どもも、私に目を合わせてくる。
子どもの身体全体の方向、子どもの見ている視線の先、子どもが手で触れたもの、子どもが指差しているものが、その子の考えていることだ。
私が代弁すると、「そうだね」と、音声のない自閉症の子どもが子どもが目を合わせてくる。
「自動販売機があった」「タダノのクレーン車があった」「非常口のマークがあった」「 TOTO のマークがあった」と、言葉の代わりに、行動全体で、身体全体で、視線で、手で、話しているのだ。
接近行動は、あった事実についての、子どもの叙述の言葉だ。
その場に一緒にいる我々が、自動販売機だね、クレーン車だね、非常口だね、TOTOだね、と共感を示せば、それが初対面の挨拶になり、親しい会話になり、コミュニケーションになる。
それが、子どもへの最初のアプローチ方法で、それは次のプランの提案=教材の提案にもつながっていく。
共感・OK・次のプランでアプローチ
走らない、触らない、投げない、叩かない、壊さない、水をこぼさない、と、ダメ出しばかりでは、アプローチは受け入れられない。
病院の小児科には、行動の激しさから、ダメ出しばかりされた子どもたちが、やってくる。
診察室に入るなり、電気のスイッチをつけたり消したりする子、ドアを開けたり閉めたりする子、ブラインドを上げてしまい下ろし方を教えてくれという子、点滴の棒を外して剣の代わりにする子、その子どもの行動に、場所の探索とその子の興味や関心が見える。
子どもは既にドアを開けているのだが、私は遅れて「ドアを開けていいよ」と声をかける。
「電気を消していいよ」「もう一度ブラインドを上げていいよ」「ベッドに横になっていいよ」「立ったまま書いていいよ」と OK サインを出していると、「病気の人の大事な点滴の棒だから、使ったら私に返してね」と頼めばスーッと返してくれる。
「何々していいよ」と子どもの行動に共感し、「何々を頼むね」と依頼すると応じてくれる。
こちらが共感すれば、子どもも共感してくれる。
それがコミュニケーションだ。
ダメ出しでは共感が生まれない。
「OK サインを出す、次はこうしよう」と誘う。
今の行動は駄目です、というのではなく、次はこういう風に行動してください、と頼めば良い。
「走らないで」でなく、「歩いてね」と言う。
「触らないで」でなく、「好きなんだね」と言う。
「投げないで」と言わないで、「私の手に置いてください・乗せてください」と言う。
「叩かないで」と言わないで、「指相撲しよう・腕相撲しよう・紙相撲しよう」と言う。
「壊さないで」と言わないで、「触りたいんだね、目だけで見られるかな」と言う。
「こぼさないで」と言わないで、「コップの水面を見ながら歩くと運べるよ」と言う。
ダメ出しをしないで、「何々はいいよ、次はこうしよう」と、OKと次のプランを言うことだ。
菅井氏が共感したら、子どもの水道栓の全開が終わったように、共感する人がいれば、子どもは満足して区切りの方向へ動く。
子どもの行動に共感する、そしてOKサインと次のプランを提案する、それが子ども世界へのアプローチ方法だ。
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