ことばの機能の退行
96~97歳の2年間、昼間はアテント尿2~4回分パッドで、夜間はライフリー尿7回分リハビリパンツで、やえさんの排泄はうまくいった。
2017年、97歳、要介護4のヤエさんの、言語・移動運動・嚥下の退行が進んだ。
言葉が出ないで、デイサービスの入浴準備の血圧測定を拒否したり、表情「イー」で怒ったり、介護士さんの介助の手を振り払ったりすることが増えた。
言葉が出なくなり、テレビに向かって指さすことが、「相撲だ」「猫だ」という叙述の言葉の代わりになった。
私も指を出して、テレビの相撲を指さすと、嬉しそうに私を見た。
音声の言葉のない「指さし会話」だった。
ヤエさんは一人にされると、食後、残っている牛乳をテーブルにまけたり、テーブルをたたいたり、テーブルクロスを丸めていたりした。
悪意は全くない。
食後一人にするなら牛乳は取り去り、テーブルには薄い座布団を敷いて叩いても消音になるようにした。
言って聞かせても難しいから、物理的な道具で「消音なら叩いていてもいいよ」と相互に歩み寄ることが解決になる。
移動運動の退行
朝、デイサービスの車に乗るとき、ヤエさんは自分で手足の運びの計画が立たず、持ち手を持たせても、乗り込みが難しい。
目がほかの景色に行ってしまい、1~2分乗り込めず、介助の手を振り払い、立ったまま怒る場面が増えた。
ヤエさんを見ていると、自分が仕事でかかわる発達障害児の、注意集中がそれるという状況がよくわかる。
分からないと集中しない、できないとやる気になれない。
人は皆そうなのだ。
そして私も将来認知症になれば、発達障害児やヤエさんと同様の行動になる。
いつもそう思って、発達障害児の集中しない行動も他人事ではなかった。
移動は、デイサービスでは歩行器を押して、自宅では車いすを押して、同行者がいればかろうじてヤエさんも移動していた。
歩行器や車いすで、ヤエさんが4つ足になっていても、転倒の危険があって、移動は目が離せない。
97歳、手でつかまっていても、足を横に出すことが難しくなった。
テーブルに両手をついても、テーブルが高いと、椅子から立ちがることが難しくなった。
手の位置が椅子の両肘くらい低くて、ヤエさんが頭を下げないと、立ち上がれなかった。
嚥下の退行
97歳、要介護4、食事に長い時間がかかるようになった。
器を持つことが難しく、箸からスプーンになり、飲み込みに苦労しているようだった。
それでも、一生懸命食べてくれるヤエさんだった。
食事の他に、薬の飲みこみも難しくなった。
多分、舌の運動が退行しているのだ。
薬をのどの奥のほうにポトンと落としてやるのだが、異物感からか、薬が舌の上に戻ってしまう。
水で薬を飲もうと、薬を呑み込む段になると、水だけ飲んでしまい、薬が残る。
手すりにつかまって、立って飲むとうまくいくこともあった。
「薬を飲む」と文字や絵に書いて見せると、飲めることもあった。
今、振り返れば、薬を1~2日、飲まなくても、97歳のヤエさんの生活行動が乱れることはないのだから、やめておけばよかった。
そういう頭の柔らかさを、私は失っていた。
初めての老人保健施設2週間
在宅介護の難しさは、家族にとって「初めての経験であるということ」にあると思う。
在宅介護も2人目であれば、経験から、介護者の構えもゆったりとする。
あるいは介護士さんのように何人も見た経験があれば、客観的に見ることが可能になる。
今起きていることの先が見えるから、客観的に構えられる。
私も15年以上前に父親の通い介護を経験したが、認知症はなく腎不全で亡くなったので、認知症の同居介護の経験は初めてだった。
97歳、要介護4のヤエさんの、言語・移動運動・嚥下の退行と比例して、介護者の私の身体的・心理的疲労が増した。
介護の最後の年、お正月に、老人保健施設へ、初めてヤエさんを預けた。
トイレ付きの個室を予約したが、入所当日はトイレなしの個室に案内された。
部屋には手すりもなく、ベッドと洗面台があるだけだった。
入所当日の夜、部屋から遠い、電気の暗い共同トイレで、ヤエさんの足が届かない高い便座で、ヤエさんを排便させた。
トイレは真っ暗で、ヤエさんのお尻が見えなくて、アテントお尻拭きを3パック使ってもヤエさんのお尻をきれいにできなかった。
仕方なく最後は、タオルを濡らして拭いた。
いたずら防止のためか、トイレの水道には、栓がなく、水が出なかった。
部屋の洗面台までまで、タオルを濡らしに往復した。
清潔にしてやれない老健へ、ヤエさんを置いて帰ることは、悲しかった。
ヤエさんは車で連れていかれるときも、老健へ置いていかれるときも、拒否する力はもうなく、騒がず、静かに従ってくれた。
老健では、車いすとオムツになった。
インフルエンザ警報で、全く面会できなかった。
ようやく面会した車いすのヤエさんは、私と目も合わせず、表情も暗く、一言もしゃべらず、うなだれて悲しそうに見えた。
悲しみに耐えきれず、2週間で、退所させた。
虐待された サ高住の3日間
ケアマネさんがネットで調べて見学してきた、素晴らしいサ高住だということで、高齢者デイサービス付き介護住宅「芝さくら」を、老健入所前に紹介されていた。
老健退所後、もう少し少人数の所がヤエさんには合っているかと、ヤエさんと一緒に、そのサ高住「芝さくら」を見学に行った。
予約して見学した昼間は、サ高住の経営者夫妻も笑顔で好意的で、経営説明もデイの活動も食事も素晴らしかったが、それは経営戦略だった。
そこでは、ヤエさんが入れ歯やオムツ拒否するので、虐待された。
初日の夜、ヤエさんを置いてくるとき、初めての場所でパジャマへの着替えを嫌がっているヤエさんを、着替えさせようとのんびり私が説得していたら、経営者夫人が私に「帰ってください」と言う。
しかも、経営者夫人の着替えの言い聞かせの言葉遣いが、暴言だ。
心配しながら、つらい気持ちで、ヤエさんを預けて帰宅した。
3日目に、アポイントなしに、提出書類を届けに行った。
食堂に見えるヤエさんが、歯みがきで乱暴に虐待されている現場を私は見た。
ヤエさんの車椅子を引き取り、私が押して、2人で居室へ行った。
居室で私と2人になり「ヤエさん、うちへ帰ろう」と言ったら、ヤエさんが、小さく「うん」と言った。
ヤエさんが眠っている10分の間に、すべての荷物を車に積んだ。
私だけ食堂に呼ばれ、経営者夫婦から「1か月預けてくれたら、言うことを聞かせてみせる」と言われたが、「私が寂しいので連れて帰る」と、その夜そのまま連れ帰った。
帰宅の車中で「ヤエさん、つらかったね、ごめんね」と言ったら、ヤエさんが「平気だった」としゃべった。
驚いた。
サ高住からは、3日間で23万円の請求書が来た。
介護保険利用手続きの書類の提出前だったので、介護保険は使わず、全額自費で払って、おさらばした。
グループホームと入院
サ高住を退所してからは、6年通い慣れたデイサービスさんで、また温かく手厚く見てもらった。
ヤエさんも、自宅から慣れたデイへ行く生活が、嬉しそうだった。
しかし、言語・移動運動・嚥下の退行はさらに進み、私もヤエさんのこの先のオムツの介助が分からず、4月、自宅から55km離れたグループホームへ入れた。
ヤエさんは、拒否しなかった。
別れ際、私が「家に、連れて帰れなくてごめんね」と言うと、静かに微笑んで、気にしないでというかのように、サヨナラの手を振ってくれた。
帰宅する車の中で、泣けた。
グループホームは、温かい介護をしてくれた。
嚥下の退行で水分摂取が難しくなり、4~5月は脱水で尿路感染症が起きて入院した。
病院は家族が毎日付き添っていいので、1か月間毎日昼食から夕食後、眠るまでヤエさんと一緒にいた。
私は毎日ヤエさんに会えること、世話できることが嬉しかった。
ヤエさんも、私が行くと喜んでくれた。
毎日、看護師さんがやって見せてくれるオムツ交換で、オムツ介助が分かった。
私はヤエさんを自宅へ退院させる決心をして、6月からまた在宅介護を再開した。
そしてまた在宅介護へ戻る
6年見てくれたデイサービスさんも、グループホーム並みの介護体制にしてくれて、6月から亡くなる10月まで、ヤエさんの最後を支えてくれた。
自宅、老健、サ高住、グループホーム、病院、自宅とデイサービスと、ヤエさんにとって激動の10ヶ月だった。
98歳、ヤエさんは要介護5が認定された。
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