31 お母さん猫の引っ越し

引っ越しの時、お母さんは、6歳になっていた。
引っ越しを機会に、お母さんを完全室内飼いにした。
トイレ、ペットの炬燵、爪研ぎ等、引っ越し前と同様の品物を準備した。
住み慣れた家が変わるとき、これまでいつも使って来たものが重要だった。
引越しだから全て新調しようと思わない方がよい。

猫は変化を嫌う、同一性を保持したい動物だ。
引っ越して2~3日で、お母さんは新しい家に慣れてくれた。
家の窓辺を回ることがお母さんの日課になった。
以前の家での、朝晩の縄張り巡回の代わりだ。
お母さん猫が引っ越しに順応するか、不適応を起こすか、それが引っ越しに際しての私の最大の関心事だった。
猫は家に付く、犬は人に付く、といわれている。
私という飼い主より、引っ越し前の「家」に懐いたお母さんが、あの家を離れるということは無理があるようにも思われた。

現に引っ越しの事前練習に、引っ越し先である実家に初めて連れて行ったときは、人間の炬燵にもぐったきり、食事にもトイレにも一歩も出て来なかった。
お母さんはもともと灰色や短毛のように人懐こい猫ではなかった。
例えば灰色は私が抱くと抱かれたまま安心して体重を預け、嫌がって逃げることはなく、撫ぜられると恍惚としてされるままになり、灰色には愛玩動物らしい可愛さと鷹揚さがあった。
しかしお母さんは今でもそうだが出逢った初めから、私に抱かれることを好まず嫌がり、人間の腕から逃げようともがくタイプの猫だった。
お母さんは私以外の慣れない人に対しては、その姿を見ただけで、視線が合っただけで、わずかばかり接近されただけでピュッと逃げた。

未知のものを嫌い、警戒し、怖がる。
お母さんは用心深かったクロとよく似ていた。
お母さんはきっと子猫の頃はクロとそっくりな、人間に対して臆病な猫だったのだろう。
反対にクロが生きていれば、お母さんに似た成猫になったに違いない。
そのお母さんが新しい家に馴れてくれるものかどうか、皆目わからなかった。
引っ越さねばならないことは私たちに選択の余地はなく、ペットであるお母さんも私以上にそれに従うほかなかった。

春、引っ越しした初日、お母さんは腰を低くしたまま這うようにして自分の居場所を探し歩き、新しい家のベッドの下や机の下の隅に隠れるようにして身をひそめた。
おかしな探索の姿勢だが、こういう時の猫は、不安な状態なのだという。
以前我が家へお母さんのほうから望んで入ろうとして、安心した普通の姿勢で探索したときとは大違いだった。
数日は私も心配で不安だった。
お母さんが新しい家から逃げ出さないか、玄関や窓の開け閉めに非常に気を配った。

ところが、住み慣れた家を失ったお母さんは、家よりむしろ私になつくことで引っ越しという今回のこの環境変化を意外と早く乗り切った。
犬のように「人に付く」順応をお母さんが見せたのである。
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